TAC
読み:タック
外語:TAC: Todai Automatic Computer
東大自動電子計算機。日本で作られたたった2台の真空管
電子計算機
のうちの一つ(もう一つは
FUJIC
)。
ノイマン型
電子計算機である。
1951(昭和26)年設計開始、1959(昭和34)年完成。開発は、ハードウェアは
東芝
、ソフトウェアは
東京大学
が担当していた。
目次
機能面の特徴
構成
計算速度
設計上の特徴
経緯
紆余曲折
TACの生涯
現役時代
完成時には時代遅れ
機能面の特徴
構成
真空管
‐ 約10,000本(
ダイオード
約3,000本、
トランジスタ
約7,000本)
クロック周波数
‐ 約330kHz
メインメモリー
‐ ウィリアムス管 35ビット512ワード
命令体系は
EDSAC
とほぼ同じものを採用している。
計算速度
加減算 ‐ 0.48ms
乗算 ‐ 5.04ms
設計上の特徴
経緯
当時はコンピューターの黎明期である。
第二次世界大戦
の終結によって軍事機密とされてきた電子計算機の情報が少しずつ公開され始めたころであった。
日本も戦後復興の一環として、文部省(現在の
文部科学省
)初の研究費による「電子計算機製造の研究」が策定された。
そこに白羽の矢が立ったのがは東大と
東芝
で、共同でTACを開発することになった。そこでは、実用に供する大型コンピューターを2年間で製造することになっていた。
紆余曲折
国家プロジェクトということもあって豪華な構成(FUJICの真空管数の5倍以上)であった。これは当時世界最高性能のコンピューターを作ろうとしていたからである。
しかし、真空管は信頼性が低かったため、その数の多さから開発に支障を来たすほど信頼性が落ちてしまった。
クロック周波数
が330kHzと高かった(目標は200kHz)のも問題であった。
まず、メインメモリーに採用したウィリアムス管も信頼性が低かった。これは主に周囲の磁気や振動の影響を受けてしまうからである。しかも、長時間連続稼動していると地球の自転でブラウン管の(実質的な)向きが変わり、それにより地磁気の影響を受けてしまいデータが狂うという難儀なものだった。
致命的だったのは各種測定機器の絶対的な不足で、その機器構成の巨大さから異常部分の特定さえままならない状況だった。
このような散々な開発状況が響き、東芝は1956(昭和31)年に共同開発から撤退した。以降、東大側の人間だけで開発は進められ、1959(昭和34)年にようやくTACが完成することになる。
TACの生涯
現役時代
1962(昭和37)年まで運営され、その間各種研究に使われた。
完成時には時代遅れ
開発が長引いたこともあり、完成した時には既に時代遅れとなっていた。
1959(昭和34)年の完成時にはすでにトランジスタ計算機が登場していたこともあり、その巨艦ぶりが批判されるところであろう。
それでも、このTACの開発から各種優秀な技術者が旅立って言ったのは紛れもない事実である。
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