FUJIC
読み:フジック
外語:FUJIC
富士写真フイルム(現、富士フイルム)の岡崎文次が開発した日本で最初の真空管
電子計算機
。
ノイマン型
電子計算機である。
目次
目的
機能面の特徴
希少価値
構成
計算速度
設計上の特徴
FUJICの生涯
現役時代
老後
目的
それまで手計算で行なわれていたレンズ設計の計算を、電子機械で行なうことを目的として作られた。
岡崎は会社に「レンズ設計の自動的方法について」というレポートを提出し、これが認められて会社から1949(昭和24)年3月に20万円の予算が与えられた。事前調査から始まり、以後設計3年9ヶ月、製作3年3ヶ月を掛け、1956(昭和31)年3月に日本初の真空管コンピューターを完成させた。
開発中、製作の最終期を除いて岡崎はほぼ一人で設計から開発までを行なったという。
資料はGHQの図書館にある文献をカメラで撮影して(!)手に入れたらしい(当時の日本はまだアメリカ占領下である)。
機能面の特徴
希少価値
日本で作られた真空管コンピューターは二台しかなく、このFUJICの他には
TAC
があるのみである。
現在は国立科学博物館に展示されている。
構成
真空管
‐ 約1,700本(
二極管
約500本、
三極管
約1,200本)
クロック周波数
‐ 約30kHz
メインメモリー
‐ 水銀遅延管 9チャンネル33ビット255ワード
命令数 ‐ 17
入力装置
‐
パンチカード
リーダ
出力装置
‐ タイプライター
計算速度
加減算 ‐ 0.1ms
乗算 ‐ 1.6ms
設計上の特徴
当時は論理回路そのものよりも、記憶装置のほうが制作上の問題であった。
岡崎は安定性から迷わず水銀遅延管を選んだようだが、これはコスト的に高くついた。一方、同時期に開発がされていたTACはウィリアムス管を採用し、その安定性確保に手間取り完成が大幅に遅れてしまった。
レンズ計算用なので
ニーモニック
もそれに合わせたものになっている。入出力装置もきわめて実用的に作られている。このうち、パンチカードリーダについては、汎用品が世に存在しなかったので、岡崎はこれを自作する必要があった。
FUJICの生涯
現役時代
完成したFUJICは、計画通りレンズ設計の計算用に投入された。手計算と比べて2,000倍の速度で計算する事ができたとされる。
また、FUJICは外部にも利用が公開され、コンピューター黎明期における数々の研究に貢献した。
老後
その後、富士写真フイルムはレンズの設計から撤退することになり、FUJICは早稲田大学に寄贈されることになった。岡崎もそれに伴い1959(昭和34)年に
NEC
に移籍することになり、そこでコンピューターの研究を続けることになる。
現在、NECが世界トップクラスのコンピューター技術を持つのはこれが理由で、もし、富士写真フイルムがコンピューターの研究を続けていたとすると、現在のコンピューターメーカーの勢力図はまた違ったものになっていたと見られている。
再検索