H-IIロケット
読み:エイチトゥーロケット
外語:H-II Rocket
宇宙開発事業団(NASDA)
(現在の
JAXA
)により開発された、衛星打ち上げ用の純国産二段式
液体燃料ロケット
。
直径
4m、全長50m、重量260トン。
目次
ロケットの概要
名称について
開発までの経緯
日本のロケット成功史
低コスト化の問題
H-IIロケットの開発
打ち上げ日時
打ち上げ実績
ロケットの概要
二段式液体燃料ロケットで、1990年代末まで使われた
H-Iロケット
の改良ロケットである。
H-Iロケットの成果を生かして、低・中高度のほか、重量2トン級の静止衛星打ち上げ(1トン級なら同時に2台可能)能力を持たせた。
第一段ロケット
LE-7
固体ロケットブースター
SRB
第二段ロケット
LE-5A
H-IIは全ての部品が国産である。
名称について
名前の「H」は、液体燃料の水素(H)から取られている。
開発までの経緯
試験機1号機(H-II・1F)が1994(平成6)年2月4日07:20(
3日
@972)に打ち上げ成功して以来、1990年代の日本の主力ロケットとなった。
日本のロケット成功史
大型液体燃料ロケットに関して言えば
N1
7機全機成功
N2
8機全機成功
H1
9機全機成功
H2 1〜5機目まで成功
と、NASDA発足以来、
連続29機成功
の大記録を記録しており、また、打ち上げに伴う死傷者も0名(但しH-IIのメインエンジンLE-7開発中の事故で1名
殉職
)。知られる限りでは
世界最高の記録
である。
日本のロケットは、成功の連続であった。
低コスト化の問題
成功は続いたが、その中で次に、低コスト化を求められるようになった。
H-IIは全部品国産であることが最大の特徴であり魅力だが、何しろ日本はロケットを乱発しないので部品を量産できず、コスト高が問題となった。
そこでコスト削減のために設計精度を下げ(てみ)るも、1998(平成10)年2月21日16:55(@371)に
5号機
(H-II・5F)で通信放送技術衛星(COMETS)「かけはし」の打ち上げに失敗、続く1999(平成11)年11月15日16:29(@353)には
8号機
(H-II・8F)で気象衛星ひまわりの後継機になる予定だった
運輸多目的衛星
(MTSAT)の打ち上げにも失敗と、立て続けに二度も打ち上げに失敗してしまった。
H-IIでのコスト削減は不可能と判断され、打ち上げが予定されていた
7号機
の打ち上げを中止した上でH-IIはその使命を終了し、安価かつ高性能なロケットは後継の
H-IIAロケット
へと引き継がれたのである。
最後の2回は無理をして失敗してしまったが、その前のH-IIは5回連続で成功しており、日本のロケット打ち上げ技術を世界に知らしめることとなった。
H-IIロケットの開発
誕生の苦労話についてはNHKのプロジェクトX 第55〜56回で紹介されている。涙無くしては観られないであろう。
打ち上げ日時
H-IIロケットでは、号機番号と、打ち上げの順番は異なる。
H-IIロケット試験機1号機
(H-II・1F) 1994(平成6)年2月4日07:20(
3日
@972)
H-IIロケット試験機2号機
(H-II・2F) 1994(平成6)年8月28日16:50(@368)
H-IIロケット試験機3号機
(H-II・3F) 1995(平成7)年3月18日17:01(@375)
H-IIロケット4号機
(H-II・4F) 1996(平成8)年8月17日10:53(@120)
H-IIロケット6号機
(H-II・6F) 1997(平成9)年11月28日06:27(
27日
@935)
H-IIロケット5号機
(H-II・5F) 1998(平成10)年2月21日16:55(@371) (失敗)
H-IIロケット8号機
(H-II・8F) 1999(平成11)年11月15日16:29(@353) (失敗)
H-IIロケット7号機
お蔵入り
打ち上げ実績
H-IIロケットでは、次のような衛星を打ち上げた。
H-IIロケット試験機1号機 軌道再突入実験機OREX、性能確認用ペイロードVEP
H-IIロケット試験機2号機 ETS-VI(技術試験衛星VI型)
H-IIロケット試験機3号機 宇宙実験・観測フリーフライヤSFU、
ひまわり5号
H-IIロケット4号機
ADEOS
(みどり)
H-IIロケット6号機 熱帯降雨観測衛星(TRMM)、
技術試験衛星VII型「きく7号」
(ETS-VII)(おりひめ・ひこぼし)
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