青色発光ダイオード
読み:あおいろ-エルイーディー
青
に光る
発光ダイオード
(LED)。略して「青色LED」。
目次
概要
特徴
実用化まで
歴史
改良時代
裁判合戦時代
第三の材質
白色光源
補足
特許抗争など
日亜と中村の裁判
中村側の主張
訴訟の時系列
中村の主張、第一審まで
第一審判決
第二審、日亜の反撃
その後の日亜
現状
概要
赤崎勇
と天野浩により実用的な青色LEDが発明され、
中村修二
により実用化された。
そして赤崎勇により更に高輝度の青色LEDが実現され、
川崎雅司
により新たな材質の青色LEDが発明された。
これらの功績により、2014(平成26)年、赤崎勇、天野浩、および中村修二の3人は
ノーベル物理学賞
を受賞した。
特徴
実用化まで
当初の青色LEDは材質がSiCで、暗く、しかも高価で実用にならなかった。
その後、
赤崎勇
と天野浩により青色LEDに必要となる世界初の
窒化ガリウム
(GaN)の高品質高純度結晶を1985(昭和60)年に実現、更に赤崎勇によりGaInN(
ガリウム
・
インジウム
・
窒素
)を材質とするものが1989(平成元)年に発明された。しかしGaInNは量産は困難だったが、
日亜化学工業
(以下日亜)の
中村修二
により1993(平成5)年に量産技術が発明され、この技術が実用化された。この発明は404特許と呼ばれ、エジソンの
電球
に匹敵するとも言われている。
また2004(平成16)年12月、SiC、InGaNに次ぐ第三の材質として、酸化亜鉛ZnOを用いた青色LEDの開発に
川崎雅司
が世界で初めて成功した。
こういった、主として日本人による技術開発により、従来の
赤
のみならず、
緑
と
青
のLEDも低消費電力でかつ長寿命のものを作れるようになり、さらに赤・緑・青の三原色を合わせた
白色光源
も実現した。
このため、将来的には電球は全てLEDに置き換えられると見られている。
歴史
改良時代
日亜は1993(平成5)年に、中村の「404特許」を使った青色LEDを発売した。輝度は1000mcdである。
1995(平成7)年秋には豊田合成が、赤崎勇の技術を用いた輝度2000mcdの青色LEDの量産を開始した。
裁判合戦時代
1999(平成11)年から2000(平成12)年頃まで、日亜の敵は主に豊田合成だった。この頃は日亜が優勢で、泥沼の裁判劇で豊田合成の特許無効を勝ち取っている。
日亜の主張によると、この頃には既に「404特許」は使っていなかったらしい。
第三の材質
2004(平成16)年12月、SiC、InGaNに次ぐ第三の材質として、酸化亜鉛ZnOを用いた青色LEDの開発に
川崎雅司
・東北大金属材料研究所教授らのグループが世界で初めて成功した。
ZnOは化粧品などに多用される安価な
物質
であることから、実用化されれば高価な青色LEDの低価格化が実現できると期待される。また日亜の特許を使わずに済む。
白色光源
発光ダイオード(LED)で、それ単体で白色光を発するものは発明されていない。しかし青色LEDを用いることで、組み合わせで白色光源を実現することができるようになった。LEDを白く光らせる方法は、主として次の二種類である。
赤LED・緑LED・青LEDの3色を組み合わせる方法
青LEDと、黄色(青の補色)に発光する蛍光体を組み合わせる方法
どちらの方法にせよ、青色LEDなくしてLEDによる白色光源はなしえず、青色LEDの発明がどれだけ役に立っているかを物語る一例となっている。
補足
特許抗争など
青色LEDは将来性のある革命的技術ゆえに、熾烈な特許抗争が繰り広げられている。
InGaN素材の青色LEDに関する多くの技術は
日亜
の特許であり、同社がほぼ独占生産を行なっているため、赤や緑と比べ青は高価で、いつになっても価格が下がらない要因となっている。
また同じく青色LEDを製造する他社との泥沼の裁判劇も繰り広げられた。しかし中村修二退職後の日亜には力がなく、次々と訴訟で敗退している。
加えて、より安価に製造できる青色LEDの「再発明」もされており、シェアは大きく変化した。
日亜と中村の裁判
中村側の主張
中村側の主張によると、日亜は中村とカリフォルニア大学に、青色LEDの研究の継続をしないこと、日亜で開発した製造方法を使わないこと、関連の発明は全て日亜の所有する
権利
を持ち出したとみなす、という一方的な内容で脅しをかけたとされる。
しかも中村が企業秘密を漏らさないように監視人が24時間見張っていて出したゴミまで調べられたそうである。そして奥さんや娘さんにまで不審なことが起こり、中村もやむを得ず反撃に出ざるを得なくなってしまったらしい。
これがどれ程事実かどうかは今となっては不明だが、少なくとも事実は、訴訟は日亜が先に起こしたものの、それを仕掛けたのは中村が先、という点であろうか。駆け引きは日亜の負けといえる。
訴訟の時系列
2000(平成12)年5月1日
中村が日亜のライバル企業の米クリー社と契約
その折、クリーからストックオプションを貰う見返りとして、日亜を訴える契約を結んだ
2000(平成12)年12月21日
これを知った日亜は、クリー社を反訴すると同時に中村を訴えた
2001(平成13)年8月23日
中村が日亜を訴えた
中村の主張、第一審まで
中村は自分が発明した青色LEDの特許の権利の主張する。これは
窒化ガリウム
系結晶の製造方法に関する特許であり、「404特許」と呼ばれている。
しかし職務発明である以上、特許法35条により特許権は日亜のものである。そこで、相当の対価を求めた。
日亜は青色LEDで年間1000億円程度を稼いでおり、中村はその数%(当初50億円、その後200億円に増額)を対価に求めている。
この時には既に404特許は使っていなかったとされているが、しかし日亜は中村の発明のお蔭で会社に15億円の赤字が出たなどと無茶な主張をしたため、裁判官の心証を著しく悪くし、裁判は中村に有利になった。
第一審判決
一審は2004(平成16)年1月30日に結審、東京地裁は請求通り、200億円の支払いを命じた。
地裁は製品の売上高を確定分を含め1994(平成6)年〜2010(平成22)年までに1兆2086億円に上ると算定、その上で売上高に対する特許の貢献度を50%、利益分をその20%と見積もり、発明の利益を1,208億円とした。
さらに、「会社に青色LEDの技術蓄積は全くなく、独力での発明」として、設備費などを除く中村の貢献度を少なくとも50%と判断、604億円を中村の「発明の対価」と認定し、請求額200億円の満額支払いを認めた。
ちなみに日亜は即時抗告している。
第二審、日亜の反撃
裁判の決着は東京高裁で、高裁が提出した和解案によった。
そして結果、一審判決が認定した発明の対価約604億円の1/100にあたる6億円を対価とする和解案を提示、更に日亜の遅延損害金を含む約8億4000万円を支払うこととし、2005(平成17)年1月11日に結審、和解を成立させた。
その後の日亜
こうして結審した裁判であるが、もし二審の主張が事実なら、その特許の権利を社が保持し続けるとなると、主張と矛盾することになる。
このため日亜は、2006(平成18)年2月10日、404特許の放棄を発表した。
現状
訴訟合戦と開発合戦の末、安価な、そして高輝度の青色LEDが入手可能となったことにより、様々な色のLEDが普及を見せた。
こうして、現在は信号機も高寿命で高輝度のLED式信号機に置き換わっている。
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