特定地方交通線
読み:とくていちほうこうつうせん
外語:specific local line
地方交通線
のうち、特に
輸送密度
が低いとされた路線。
目次
概要
定義
第1次特定地方交通線
第2次特定地方交通線
第3次特定地方交通線
例外規定
一覧
第1次特定地方交通線
1983年10月23日廃止
1984年4月1日廃止
1984年10月1日廃止
1984年10月6日廃止
1984年11月1日廃止
1984年12月1日廃止
1985年3月14日廃止
1985年4月1日廃止
1985年7月1日廃止
1985年7月15日廃止
1985年9月17日廃止
1985年10月1日廃止
1985年11月16日廃止
1986年7月1日廃止
1986年11月1日廃止
1987年7月13日廃止
1987年10月14日廃止
1988年3月24日廃止
第2次特定地方交通線
1986年4月1日廃止
1986年11月1日廃止
1986年12月11日廃止
1987年1月10日廃止
1987年2月2日廃止
1987年3月14日廃止
1987年3月15日廃止
1987年3月16日廃止
1987年3月20日廃止
1987年3月23日廃止
1987年3月27日廃止
1987年3月28日廃止
1987年3月30日廃止
1987年7月13日廃止
1987年7月16日廃止
1987年7月25日廃止
1988年2月1日廃止
1988年2月20日廃止
1988年4月1日廃止
1988年4月11日廃止
1988年4月25日廃止
1988年9月1日廃止
1989年3月29日廃止
1989年4月28日廃止
1989年4月30日廃止
1989年5月1日廃止
1989年6月4日廃止
第3次特定地方交通線
1988年1月31日廃止
1988年3月25日廃止
1988年4月1日廃止
1988年10月25日廃止
1989年10月1日廃止
1989年12月23日廃止
1990年4月1日廃止
批判
概要
1981(昭和56)年に成立した日本国有鉄道経営再建特別措置法(国鉄再建法)に基づいて指定され、それらの路線は、極端な不採算
ローカル線
として法律の下に廃止が推し進められた。
特定地方交通線に指定された路線は83線区、3,157kmに及び、これらの路線は1990(平成2)年までに、廃止、バス転換、
第三セクター化
のいずれかの措置がなされた。一部の路線はJR化後に第三セクター化となったものもある。
定義
以下の条件に当てはまる路線である。
第1次特定地方交通線
営業キロが30km以下の
盲腸線
かつ旅客輸送密度が2,000人/km/日未満。ただし、石炭輸送量が72万t以上の路線は除く。
営業キロが50km以下かつ旅客輸送密度が500人/km/日未満。
第2次特定地方交通線
輸送密度2,000人/km/日未満の路線。
第3次特定地方交通線
輸送密度4,000人/km/日未満の路線。
例外規定
以下に該当するものがひとつでもある場合は特定地方交通線の定義から外されている
ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1,000人以上
代替輸送道路が未整備
厳冬期の道路輸送が困難
平均乗車キロが30kmを超え、かつ輸送密度が1,000人以上
線形改良を行なっている区間の一部になる場合(該当は
内子線
のみ)
一覧
第1次特定地方交通線
1981(昭和56)年9月18日に廃止承認。
1983(昭和58)年10月23日廃止
白糠線
1984(昭和59)年4月1日廃止
久慈線 ‐
三陸鉄道
北リアス線に転換
盛線 ‐ 三陸鉄道南リアス線に転換
宮古線 ‐ 三陸鉄道北リアス線に転換
日中線
赤谷線
魚沼線
1984(昭和59)年10月1日廃止
神岡線 ‐
神岡鉄道
に転換
1984(昭和59)年10月6日廃止
樽見線 ‐
樽見鉄道
に転換
1984(昭和59)年11月1日廃止
黒石線 ‐
弘南鉄道
に転換
1984(昭和59)年12月1日廃止
高砂線
宮原線
妻線
1985(昭和60)年3月14日廃止
小松島線
1985(昭和60)年4月1日廃止
相生線
渚滑線
万字線
北条線 ‐
北条鉄道
に転換
三木線 ‐
三木鉄道
に転換
倉吉線
香月線
勝田線
添田線
室木線
矢部線
1985(昭和60)年7月1日廃止
岩内線
興浜北線
大畑線 ‐ 下北交通に転換
1985(昭和60)年7月15日廃止
興浜南線
1985(昭和60)年9月17日廃止
美幸線
1985(昭和60)年10月1日廃止
矢島線 ‐
由利高原鉄道
に転換
1985(昭和60)年11月16日廃止
明知線 ‐
明知鉄道
に転換
甘木線 ‐
甘木鉄道
に転換
高森線 ‐
南阿蘇鉄道
に転換
1986(昭和61)年7月1日廃止
丸森線 ‐
阿武隈急行
に転換
1986(昭和61)年11月1日廃止
角館線 ‐
秋田内陸縦貫鉄道
に転換
1987(昭和62)年7月13日廃止
これ以降、国鉄民営化後の転換路線になる。
信楽線 ‐
信楽高原鐵道
に転換
1987(昭和62)年10月14日廃止
若桜線 ‐
若桜鉄道
に転換
1988(昭和63)年3月24日廃止
木原線 ‐
いすみ鉄道
に転換
第2次特定地方交通線
1984(昭和59)年6月22日に27路線廃止承認、6路線保留。
6路線中、天北線、名寄本線、池北線、標津線は代替道路の整備が進んだため1985(昭和60)年8月2日に追加承認された。
岩泉線、名松線は代替道路の不備が認められて廃止撤回となった。
1986(昭和61)年4月1日廃止
漆生線
1986(昭和61)年11月1日廃止
胆振線
富内線
阿仁合線 ‐
秋田内陸縦貫鉄道
に転換
1986(昭和61)年12月11日廃止
越美南線 ‐
長良川鉄道
に転換
1987(昭和62)年1月10日廃止
宮之城線
1987(昭和62)年2月2日廃止
広尾線
1987(昭和62)年3月14日廃止
大隅線
1987(昭和62)年3月15日廃止
二俣線 ‐
天竜浜名湖鉄道
に転換
1987(昭和62)年3月16日廃止
瀬棚線
1987(昭和62)年3月20日廃止
湧網線
1987(昭和62)年3月23日廃止
士幌線
1987(昭和62)年3月27日廃止
伊勢線 ‐
伊勢鉄道
に転換
1987(昭和62)年3月28日廃止
佐賀線
志布志線
1987(昭和62)年3月30日廃止
羽幌線
国鉄として最後の廃止路線となる。これ以降は国鉄民営化後の転換路線となる。
1987(昭和62)年7月13日廃止
幌内線
1987(昭和62)年7月16日廃止
会津線 ‐
会津鉄道
に転換
1987(昭和62)年7月25日廃止
岩日線 ‐
錦川鉄道
に転換
1988(昭和63)年2月1日廃止
山野線
1988(昭和63)年2月20日廃止
松前線
1988(昭和63)年4月1日廃止
松浦線 ‐
松浦鉄道
に転換
1988(昭和63)年4月11日廃止
真岡線 ‐
真岡鐵道
に転換
1988(昭和63)年4月25日廃止
歌志内線
1988(昭和63)年9月1日廃止
上山田線
1989(平成元)年3月29日廃止
足尾線 ‐
わたらせ渓谷鐵道
に転換
1989(平成元)年4月28日廃止
高千穂線 ‐
高千穂鉄道
に転換
1989(平成元)年4月30日廃止
標津線
1989(平成元)年5月1日廃止
天北線
名寄本線
1989(平成元)年6月4日廃止
池北線 ‐
北海道ちほく高原鉄道
に転換
第3次特定地方交通線
1986(昭和61)年5月27日3線承認(能登線、岡多線、中村線)
1986(昭和61)年10月28日1線承認(長井線)
1987(昭和62)年2月3日8線承認(宮津線、鍛冶屋線、大社線、宮田線、伊田線、糸田線、田川線、湯前線)
よほど国鉄の運行体系や国の態度に不満があったのか、第2次特定地方交通線の選定がもめにもめていたのを横目にさっさと第三セクター化を決定してしまった路線が多い。
1988(昭和63)年1月31日廃止
岡多線 ‐
愛知環状鉄道
に転換
瀬戸線 ‐ 愛知環状鉄道に転換
1988(昭和63)年3月25日廃止
能登線 ‐
のと鉄道
に転換
1988(昭和63)年4月1日廃止
中村線 ‐
土佐くろしお鉄道
に転換
1988(昭和63)年10月25日廃止
長井線 ‐
山形鉄道
に転換
1989(平成元)年10月1日廃止
伊田線 ‐
平成筑豊鉄道
に転換
糸田線 ‐ 平成筑豊鉄道に転換
田川線 ‐ 平成筑豊鉄道に転換
湯前線 ‐
くま川鉄道
に転換
1989(平成元)年12月23日廃止
宮田線
1990(平成2)年4月1日廃止
宮津線 ‐
北近畿タンゴ鉄道
に転換
鍛冶屋線
大社線
批判
法律の下に路線を廃止することになるが、その定義に問題があり、それに関して数々の批判がある。
盲腸線
に対して著しく不利な算定方法を用いた
路線を廃止するためにわざとダイヤ改悪を行なった路線がある
路線名単位で廃止が行なわれたため、
輸送量微少の名無し支線が廃止されなかった
輸送量が明らかに多い区間を持つ路線が廃止になったり、その逆が起きたりした
特急列車が多数通過するのに廃止対象になった
地域の実情を反映していない
その後のドル箱路線まで廃止対象になった
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