581系
読み:ごひゃくはちじゅういちけい
外語:581 series
国鉄
が製造した
寝台特急
電車
。1967(昭和42)年運転開始。
最初にこの車両が使われた
特急
の名前から月光形とも呼ばれる。
目次
概要
背景
特徴
アコモデーション
車両
列車ダイヤ
1日目
2日目
3日目
4日目
時代のあだ花?
JRにおける状況
JR北海道
JR東日本
JR西日本
概要
背景
時は高度成長期(いざなぎ景気)。旅客は長距離輸送、通勤輸送共に急激な増加を続けていた。当然、国鉄ではその旺盛な需要にこたえるべく
列車
の増発等を行なっていたが車両の増備や列車増発を行なうには車両基地を拡張しなければならなかった。しかし、車両基地の増設はそう短時間にできるものではなかった。
そこで考え出されたのは車両を可能な限り車両基地に入れさせないというものであった。どうするかというと車両を座席車と寝台車の両方に対応できるように作り、昼間は普通の特急列車、夜は寝台特急列車として走らせるというのである。
また昼行と夜行で車両を別々に作るのに比べて編成数が少なくて済む。これは当時各種設備投資に追われていて資金の調達に悩んでいた国鉄としても好都合であったのである。
かくして、国鉄は世界初の昼夜兼行型寝台特急列車(!)の製造を行なうことになったのである。
特徴
アコモデーション
言うまでもなく車内設備をどうするかという点にこの電車の特徴が集約されている。乗客に寝台と座席の両方で快適に過ごしてもらうのかということを考えた結果、以下のような車内設備になることが決まった。
昼間 ‐ 4人座席ボックスシート
夜間 ‐ 中央通路プルマン式3段寝台
方針 ‐ 寝台と座席の入れ替えは車両基地でしか行なわないので操作が面倒なものでもよい
特急列車にボックスシートというのはどうかという意見もあったらしいが、他に選択肢はなかったようでこの通り決まった。とはいえ普通の
急行形
の座席に比べて大幅にシートピッチが広くなったため、当時のサービス水準からしてみて酷評するようなものではなかったようである。
3段寝台というのもサービス水準が低いのだが、そもそもこの当時の寝台列車は大盛況であったためより多くの人が寝台を利用できることの方が重要であり、これも特に問題視されていない。寝台の幅はこれまでと比べてより広くなったため乗客からは好評であったという。
もっとも、一等車(後の
グリーン車
)に
ボックスシート
を提供することはさすがにできないと考えていたのだろうか、当初はそのような車両が製造されなかった。グリーン車は結局のところ座席車だけになり、
A寝台
の車両は作られないことになった。
後年は寝台や座席のセットを行なう余裕がなくなってきたのか、581系は寝台専用あるいは座席専用とされることが多かった。一部の乗客は座席と寝台のセットの方法を知っていたようで、車掌の目を盗んで勝手に寝台を組み立てて寝てしまうというという事件も発生した。もちろん問題視されたため、後には寝台用の機器が取り外されてしまった。
車両
寝台車ということで車体は車両限界いっぱいまで広げられた。天井が有効活用できないなど機器類を収容する空間には苦労したようで床下は非常にゴミゴミした感じになってしまった。一部の機器は床下に納まりきれず運転室や乗務員室のすぐ隣に設置されている。そのため外観が妙に厳つく感じられる。
乗客の視点からすると、座席車で運用されているときは天井が妙に高いところにあるのが見て取れる。
性能は481系のシステムを踏襲している。当時の特急列車の限界である最高速度120km/hを達成し速達性でも優れていた。寝台車に使われるということもあって車内環境の向上にも力が入れられている。
当初は
交流
60Hz/20000Vと
直流
1500Vに対応していたが、後に交流50Hzにも対応した
583系
が登場しそちらが増備されるようになる。
車両の塗装はこれまでの特急列車が窓周りを赤にしていたのに比べて青に変更された(全体の塗装はクリーム1号+青15号)。
列車ダイヤ
前述の通り、車両を24時間働かせるのが前提条件である。1967(昭和42)年ダイヤ改正における581系電車の運用は以下の通りである。
1日目
南福岡電車区から博多に回送
博多 19:45発 8M 特急月光
2日目
新大阪
5:45着
新大阪から向日町運転所(現在の京都総合運転所)に回送
寝台の解体、座席のセット
向日町運転所から新大阪に回送
新大阪 9:30発 1M 特急みどり
大分 19:35着
3日目
大分 9:30発 2M 特急みどり
新大阪 19:45着
新大阪から向日町運転所に回送
座席の解体、寝台のセット
向日町運転所から新大阪に回送
新大阪 23:30発 7M 月光
4日目
博多 9:20着
博多から南福岡電車区に回送
(1日目に戻る)
時代のあだ花?
581系/583系は1967(昭和42)年から1972(昭和47)年の間に434両製造され、急増していた旅客輸送の改善という当初の目的を果たすことができた。しかし、この581系/583系が活躍できた期間はあまりにも短かった。
先にあげたボックスシートや3段寝台というのはすぐに時代遅れになってしまった。また
新幹線
が延伸することによって在来線特急から新幹線への旅客の移動が起きる。所要時間も短くなりわざわざ夜行列車で移動することもなくなってしまったのである。こうなってくると車両が昼夜兼行型である意味がなくなってしまった。
581系/583系が活躍できたのは西日本では
山陽新幹線
全通の1975(昭和50)年、東日本では
東北新幹線
盛岡開通までの1982(昭和57)年までであった。そのため、国鉄末期頃には相当数の余剰車が発生してしまい、普通列車のフリークェントサービスのために普通列車に改造される車両まで出てくる始末であった(
419系
、
715系
)。
JRにおける状況
国鉄から
JR東日本
、
JR西日本
、
JR北海道
に継承されている。
JR北海道
利用実績がないまま全車廃車されている。
JR東日本
はくつる、ゆうづる、はつかりで利用されていたが現在は波動輸送専用になっている。
JR西日本
定期列車である急行きたぐにで利用されている。しかし、老朽化は隠せず
N40延命工事
で騙し騙し利用しているような状態である。
波動輸送用や臨時快速に充当されることもあるようである。
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