TACS
読み:タックス
外語:TACS: Total Access Communications System
米国の
Motorola
が開発し、日本では
IDO
と
DDIセルラー
(いずれも現在の
au
)がサービスを行なっていたアナログ
携帯電話
システム。日本では「モトローラ方式」などとも呼ばれている。
いわゆる
1G
に相当する通信方式である。
目次
概要
マイナーチェンジ版
J-TACS
N-TACS
E-TACS
日本における歴史
サービス開始
IDO
見所は多かった
不良資産化
cdmaOneへの道を進む
廃止
cdmaOneとのローミング
概要
1983(昭和58)年にできた米国のアナログ携帯電話システムAMPS(Advanced Mobile Phone Service)を元に、Motorolaが英国向けに開発したアナログ携帯電話システム。
多重化方式は
FDMA
、
搬送波
間隔は25kHz(12.5kHzインターリーブ)、音声
変調方式
は
FM
。
マイナーチェンジ版
J-TACS
TACSを日本の周波数割り当てに適合させたもの。
1989(平成元)年7月にDDIセルラー電話グループが採用した。
N-TACS
J-TACSの周波数帯域を半分(ハーフレート)にしたもの。すなわち搬送波の周波数間隔は12.5kHz(6.25kHzインターリーブ)。
1991(平成3)年10月にIDO(現KDDI au)が採用した。
やはり周波数帯域を削られたのが品質にとって致命的だったようで、このサービスがIDOの評判を落としたとも言われている。
E-TACS
TACSのチャンネル数を増やしたもの。
日本では使われていない。
日本における歴史
サービス開始
1989(平成元)年7月に関西セルラーがサービスインしたのを皮切りに1991(平成3)年までにIDOエリアを除く地域でTACSのサービスが開始されている。
DDIセルラー
はよほど
NTT
と折り合いが悪かったらしく、
NTT大容量方式(HICAP)
は採用せず外国から技術を導入することになり、その結果として選ばれたのがTACSであった。
しかし、DDIセルラーと営業エリアを分け合ったIDOはHICAPを採用した(政治的事情により、押し付けられた。後述)。その結果、DDIセルラーから見て関東・東海にTACSで営業している事業者は存在せず、よってDDIセルラーの携帯電話は人口の多い関東・東海で使えないという欠陥サービスとなってしまった。
IDOはHICAPで全国展開しているNTT移動通信網とローミングすることで全国サービスを実現できたが、DDIセルラーはそのようなことは到底不可能であった。
IDO
Motorolaは「日本における携帯電話の周波数割り当てのいびつさのせいで当社の携帯電話は売れず、日本の消費者も被害を受けている」という理屈でロビー活動を開始、アメリカ政府が内政干渉をしてきた結果、関東・東海地区ではIDOがサービスする事になった。
IDOでのサービスは1991(平成3)年10月に開始、DDIセルラーとのローミング開始は1992(平成4)年12月である。
既に携帯電話のディジタル化が始まるころであり(
PDC
のサービス開始は1993(平成5)年3月)、IDOにとって見ればとんでもない不良投資だったのは間違いない。
見所は多かった
IDOのTACSサービスは
トーキョーフォン
と名付けられ、新規加入料45,800円、預かり保証金なし、月額
基本料
が12,000円という(当時としては)破格の安さだった。
また、Motorola製の端末「MicroTAC」シリーズが人気を博した(一時期、携帯電話型のおもちゃはMicroTACを模したものが多かった)。
しかし、前述したとおり通話品質はやはり問題ありとされることが多く、結果としてディジタル携帯電話への買い換えが多くなった。
Motorolaは「StarTAC」なる超人気端末を日本で投入したが、それでも値段が携帯電話端末としては高価過ぎ(実勢10万円超)るためあまり流行る事はなく、TACS方式の携帯電話は全国で毎月15,000〜20,000台の解約が続き設備の稼働率も激減、やがて全国でも僅かに数万人にまで利用者が落ちこんでしまうことになる。
不良資産化
NTTドコモが着々とディジタル化への布石を打っているのに対し、ディジタル化への情熱が薄かったDDIセルラーは、末期に至ってもなおTACSでのエリア拡張を行なっていた。そのため、設備投資の減価償却という観点からもTACSの廃止が難しく台数減少とのジレンマが続いていた。
また前述のような政治的理由でTACSを導入したIDOは単独で廃止する訳にもいかず、お互いに困った状態であった。
cdmaOneへの道を進む
DDIセルラーとIDOはPDCの基地局構築でNTTドコモとの間に大きく水を開けられたため、何らかの対策が必要になった。
そこで、
cdmaOne
の基地局、端末がTACSと同様にMotorola製であることから、TACSの周波数帯と基地局を順次cdmaOne用に切り換えることにした。cdmaOne用のインフラ大量受注でMotorolaは相当潤ったはずで、しかも
CDMA2000
まで引き続きやらせて貰える事になり、彼らもTACSなどどうでも良い、ということになったようだ。
廃止
これでいつでも安心して廃止できるということで、DDIセルラーは1999(平成11)年8月に、IDOも同年9月でTACSの新規申込の受付を終了し、両者共に2000(平成12)年9月末に運用を停止した。
これが国内最後のアナログ携帯電話規格である。
cdmaOneとのローミング
DDIセルラーのcdmaOne方式ディジタル携帯電話で、最初に発売された端末(CD-10xシリーズ)には補助的にTACSモードが備えられていた。
これはcdmaOneのサービスエリアがまだ狭かったころの対策で、cdmaOneサービスがまだ始まっていない地域ではTACSモードで使えるようにするためである。
ただし、両形式対応にすることは消費電力などの増大などの問題があり、第2世代のcdmaOne端末では早くもTACS対応は打ち切られている。これは、予想以上にcdmaOneの基地局切り替えが早かったという理由もある。
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