小田稔
読み:おだ-みのる
外語:ODA Minoru

 日本のX線天文学の父。元 宇宙科学研究所(ISAS)名誉教授。
 北海道札幌市出身。大阪帝国大学(現在の大阪大学)を卒業後、マサチューセッツ工科大学(MIT)教授、東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所(ISAS))教授、宇宙科学研究所(ISAS)所長などを歴任し、1993(平成5)年に文化勲章、1997(平成9)年に勲一等瑞宝章を授賞した。
 2001(平成13)年3月1日15:24(@308)に心不全で逝去。満78歳没。
 2002(平成14)年にリカルド・ジャッコーニ博士がX線天文学によりノーベル物理学賞を受賞したが、これはそのまま小田稔の業績がノーベル賞に値することを証明していることになる。2002(平成14)年末になお小田稔が存命であれば、ジャッコーニと共にノーベル物理学賞を受賞していたと思われるだけに、惜しまれるところである。
 小田稔の発明 "すだれコリメーター" はX線源の位置精測を実現。1979(昭和54)年に打ち上げられた日本初のX線天文衛星 "はくちょう" に搭載されたことで、日本のX線天文学を世界のトップレベルへと引き上げた。そして、てんま、ぎんが、あすか、と続く日本のX線天文学の礎を築いたことは大きな功績である。
 1993(平成5)年2月20日に打ち上げられ数々の功績を残した「あすか」は、小田稔の亡くなった翌日の2001(平成13)年3月2日14:21(@264)、まるで教授の後を追うかのように大気圏再突入して燃え尽きた。

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