国電同時多発ゲリラ事件
読み:こくでんどうじたはつゲリラじけん

 国鉄末期に発生した鉄道施設を標的にしたテロ事件。
目次

背景
 もはや事実上の決定事項になった国鉄分割民営化を実力で阻止するために、国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)とそれを支援する中核派が決行したテロ事件である。

1985(昭和60)年11月29日の事件

11月28日
 テロ前日の11月28日、国鉄千葉動力車労働組合が千葉鉄道管理局管内で全面ストに突入した。これにより千葉方面の列車は全面運休に追い込まれ、各地で大混乱となった。しかし、これは中核派の活動を支援するためのストライキであった。

11月29日

信号ケーブル切断
 11月29日未明に東京、埼玉、千葉、神奈川、京都、大阪、岡山、広島の8都府県下33箇所で国電区間の通信ケーブルが切断され、CTCなどが機能を停止した。これにより首都圏の国電すべてと大阪の大阪環状線および関西本線は始発から運転不能になった。またMARSの機能も一時ストップして指定席券の販売が不可能になるなど大混乱となった。
 通信ケーブルはその日の夕方までには復旧したが、後述の浅草橋放火事件と合わせて列車の運休が3,274本にも及ぶという甚大なものになった。

浅草橋駅放火
 一方、午前6時45分ごろ千葉鉄道管理局で最も西にある浅草橋駅にヘルメット、火炎瓶、鉄パイプなどで武装した過激派約100人が駅のシャッターをこじ開けて進入し、券売機などを破壊した後、持ってきた灯油などを駅に撒いて放火した。これにより駅は全焼した。
 駅はめちゃくちゃな状態になり、当分の間は営業を停止するものと見られていたが、全力で復旧作業に努めた結果、翌日始発から営業を再開することが出来た。
 このとき46人が現行犯逮捕されたが、その中に現職の国鉄職員が2人含まれていた。

新幹線指令室の襲撃
 別働部隊が東京丸の内の新幹線司令室を襲撃する計画が存在した。
 しかし警備が非常に厳重であったことから断念し、代わりとして浅草橋駅の放火が行なわれたという。

それ以降の事件
 動労千葉と中核派はこの事件で批判の集中砲火を浴びたにもかかわらず、再びテロ事件を起こす。彼らは犯行声明文で「11・29国電全面ストップの大ゲリラ戦炸裂、中曽根・杉浦の国鉄分割・民営化に大痛打、動労千葉決戦スト実力防衛の大勝利!中曽根実力打倒へ、第2、第3の11・29を!」などと息巻いていたが、国鉄民営化の流れは特に変わることはなかった。
 そこで、繰り返して混乱を起こすことで今度こそ有力な政治的圧力をかけられると判断したのだろう。事件の教訓からケーブルにも対策が行なわれ、重要拠点の警備が強化され、当局の監視の目も厳しい中、決行される。

1986(昭和61)年4月29日
 関西地方の5ヶ所で通信ケーブルが切断された。

1986(昭和61)年9月24日
 午前7時というラッシュが始まる直前を狙い、首都圏の国電22ヶ所の信号ケーブルに仕掛けられた時限式発火装置が作動させ信号ケーブルを焼損させた。

事件の影響
 国鉄分割民営化の流れはもはや避けられない状況であり、何か事件が起きたからといって止まってしまうようなものではなかった。それどころか、世論に国鉄改革に反対する人間は不良分子という印象を与えるのに十分すぎる事件であった。
 1986(昭和61)年に行なわれた衆参同時選挙の焦点はもちろん国鉄分割民営化だったのだが、左派陣営が軒並み行政改革や国鉄分割民営化に反対だったのに対し、それを推し進めた自民党が安定多数を確保する大勝利を収め、国鉄分割民営化が完全に決定することになったのであった。

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