国鉄分割民営化
読み:こくてつぶんかつみんえいか
1987(昭和62)年に行われた日本国有鉄道(国鉄)を以下の継承法人12社に分割するという行政改革。日本国有鉄道改革法および日本国有鉄道改革法等施行法により実行された。
継承法人
概要
建前
国鉄の経営が破綻したため、民間企業でいうところの破産処理を行ったものと解される。国鉄の将来的な完全民営化を見据えて、債務の軽減、民間企業として適切な規模への分割、経営規模に見合うまでの人員整理などが行われた。これらの政策は問題点を抱えつつもおおむね成功したと判断されている。
実際
もっとも、当時首相の中曽根康弘は、国鉄分割民営化の真の目的は労働運動の巣窟であった国鉄労組を解体するためだったと後に語っている。特に日本社会党の支持基盤であった国鉄労働組合(国労)が標的で、そのほか極左勢力の筆頭で国電同時多発ゲリラ事件を引き起こした国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)なども排除対象であったという。
しかし、実際には影響力は低下させたものの国労も動労千葉もゴキブリのようにしぶとく生き残ってしまい、こちらの目論見は失敗してしまった。
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