師団
読み:しだん

 陸軍部隊の編制単位の一つ。戦略単位
目次

概要
 主力戦闘部隊である歩兵(歩兵師団)、騎兵(騎兵師団)、戦車(機甲師団)を2個〜4個連隊持つ。
 その他に、砲兵連隊、工兵連隊、歩兵・騎兵・機甲(当然ながら各々自兵科の師団には補助戦闘部隊としては付かない)連隊ないし大隊などといった補助戦闘部隊、輜重兵連隊や、通信隊、野戦病院、衛生大隊、武器大隊などの後方支援部隊を持っている。

特徴

日本陸軍
 日本陸軍に師団制度が導入されたのは、1888(明治21)年のことであり、ドイツから陸軍大学校の教官として派遣されて来たメッケル少佐の助言によるものであった。
 こうして陸軍部隊は、防御型の鎮台から攻撃型の師団へと再編されたが、日本においては師団とは単に戦闘部隊なだけではない。平時の内地においては最大組織であり、数県にまたがる師団管区というものを持ち、その区域の徴兵の仕事も請け負っていた。すなわち、部隊であると同時に軍政にも連結させられていたのである。
 ところで、県の行政責任者たる知事が少将相当官であるため、官吏としての身分と責任範囲を考慮すると、師団長はその上の中将にならざるを得ない。外国では師団長には少将を持って任じるのが一般的であるが、日本陸軍ではそれよりも充てる階級が高いのは、このような事情があった。

規模
 昔の歩兵師団は隷下に2個旅団を持っていた。
 旅団は2個連隊で構成されているので、1個師団には4個連隊が存在することになる。しかし、第一次世界大戦中〜1930年代にかけて各国で三単位制が導入されるようになると3個連隊で1個師団を構成するようになった。四単位師団で2万人、三単位師団で1万5千人、機甲師団などのように機械化の度合いの高い師団では1万前後の規模となる。
 但し、これはあくまでも目安で、国によって時には倍ほどの差異があり、同一国でも師団編制の変化により相当数の増減があった。

由来
 師団という戦略単位を世界で初めて用いたのはフランスのナポレオンである。彼のフランス軍の無敵の強さの理由の一つには、この師団の採用という軍編制にもあった。
 戦略単位であるため、その国の陸軍力を測る主要な指標の一つとなっている。

戦車
 戦車をどれだけ主力にするかによって、もっとも機甲化が進んでいる機甲師団と、進んでいない歩兵師団の間に、その程度によって自動車化歩兵師団と機械化師団があった。
 また、砲兵部隊(野砲)は通常最大単位は砲兵連隊であり、師団砲兵として師団の火力支援任務に当たるのが一般的であるが、砲兵を重視する国では砲兵師団を持っているところもある。

上位組織
 上位組織は世界的には「軍団」であるが、日本陸軍においては「」であり、陸上自衛隊においては「方面隊」である。
 日本でこの部隊組織のことを「師団」と呼ぶのは、中国の周の時代に2,500人からなる部隊のことを「師」と呼び、5師で1軍を編成していたことに因る(中国語では今も師団のことを「師」と言う)。

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