軍 (日本陸軍編制単位)
読み:ぐん

 陸軍部隊の編制単位の一つ。師団の上位組織で、複数の師団を直隷させた大きな部隊である。長である軍司令官には中大将が任ぜられる。
目次

概要
 もともと内地には師団以上の組織は存在せず、外地においてのみ編成される組織であった。
 また、その外地における軍も、関東軍や朝鮮軍、台湾軍、支那駐屯軍など平時から常設され、本土の師団管区と同様、外地における軍政業務を行なう常設軍と、日清戦争における第一軍、第二軍、日露戦争時の第一〜第四軍などの戦争時に戦闘を行なうために臨時に編成され、戦争終結などで必要が無くなると随時解除される作戦軍とがあった。
 なお、諸外国における「軍」とは師団の上に「軍団」が存在し、更にその上の編制単位であったが、日本では異なる点に注意が必要である。

特徴

種類
 常設軍には関東軍、朝鮮軍、台湾軍がある。これらは師団と同程度かそれ以下の規模しか持たなかったが、性格的に師団よりも格が上であり、司令官には大将が任じられることになっていた。
 一方、作戦軍は師団の上位組織であり、数個師団をもって作戦を行なう際に、統一指揮という観点から臨時に編成されるものであり、常設軍とは全く性格を異にするものであった。

支那事変の頃
 支那事変が勃発して以降は常時戦争をしているような状況であったため、作戦軍も編成に変化はあるものの常時存在し、更には軍の数そのものが膨大になっていったので(終戦時には50弱存在した)、更に上位組織である方面軍総軍が設立されることとなった。
 その代表格が支那派遣軍で、当初は軍組織だったものの、傘下部隊が多くなったために傘下に軍や方面軍を持つようになり、最終的には総軍となった(終戦時傘下に2個方面軍、9個軍)。
 関東軍も満州事変以降は次第に規模を拡大し、傘下に軍や方面軍を持つようになるなど、その区別が難しくなっていった。こうした事態を受け、関東軍も1942(昭和17)年10月に「総司令部」と名乗るようになり、更に1944(昭和19)年には司令官、参謀長も総司令官、総参謀長となり、総軍と同等の地位となっていった(終戦時傘下に3個方面軍7個軍)。

国内の状況
 軍は常設軍、作戦軍の区別にかかわらず外地における部隊組織であり、内地における最大の部隊組織は師団だった。
 しかし、東部、中部、西部、北部の4個軍が編成され、それまで師団が担ってきた任務の一部を担うようになった。
 またこの時に朝鮮軍、台湾軍も作戦軍としての機能を帯び始め、それらと並ぶ軍組織となった。更に1944(昭和19)年末には内地防衛部隊は8個方面軍に再編され、更に東半分を統率する第一総軍と西半分を統率する第二総軍とにまとめられた。

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