尖閣諸島
読み:せんかく-しょとう
外語:Senkaku Islands
南西諸島
に属する
琉球諸島
に属する諸島。
目次
概要
状況
構成
隣接する列島
歴史
沿革
領有まで
石油埋蔵発覚
特徴
海保警備
所有者、管理者
島の土地
東京都への売却
支那
補足
灯台
神社
日本人でも上陸はできない
概要
西沖縄海
(
東支那海
)上にあり
沖縄島
(沖縄本島)の西425km、
石垣島
の北160km、
台湾
の北東200kmに位置する。
行政区画としては、
日本国
沖縄県
石垣市字登野城2360番地〜2365番地に属する。
状況
構成
5島と付随するいくつかの小島、および3岩礁で構成されている。
5島
魚釣島
(3.6km
2
) 石垣島北西方170km (尖閣諸島西端)
久場島
(0.87km
2
) 石垣島北方160km、魚釣島東北方22km
北西小島
北西北小島
北小島
北東小島
東小島
南東小島
大正島
(0.04km
2
) 石垣島北方150km、魚釣島東方103km (尖閣諸島東端)
北小島
北小島 (0.26km
2
) 西表島北方160km
南小島 (0.32km
2
) 西表島北方160km
南西小島
南東小島
3岩礁
沖の北岩 (0.05km
2
) 石垣島北方160km、魚釣島東北方6km
沖の南岩 (0.01km
2
) 石垣島北方160km、魚釣島東北方7.5km
飛瀬 (0.02km
2
) 石垣島北方160km、魚釣島東方1.5km
総面積5.17km
2
2012(平成24)年1月16日、政府は無名の離島に名前を付け始めたが、この時に久場島および大正島に付随する小島に北小島と命名したことから、尖閣諸島には3つの北小島が存在することになってしまった。
また、2014(平成26)年8月1日、名前のない離島への命名方針により、
尖閣諸島ではさらに6つの小島に名前が付けられた
。
隣接する列島
八重山列島
(南方向)
宮古列島
(南東方向)
沖縄諸島
(東方向)
歴史
沿革
1885(明治18)年: 明治政府が沖縄県を通じて現地調査を開始
1894(明治27)年7月: 日清戦争勃発
1895(明治28)年1月14日: 閣議決定によって日本国領に編入
1895(明治28)年3月: 日清戦争終結、日本の勝利
1968(昭和43)年秋: 周辺大陸棚に石油資源の埋蔵が確認される
1971(昭和46)年4月: 支那共産党(支共)・台湾が同諸島の領有権を主張し始める
1978(昭和53)年8月12日: 日本の政治団体が魚釣島に灯台を建設する
1988(昭和63)年6月9日: 日本の政治団体が魚釣島に新灯台を建設する
1992(平成4)年8月: 支共、「領海法」を制定し領土編入を一方的に宣言
1996(平成8)年7月5日: 日本の政治団体が北小島に第二灯台を建設する
2000(平成12)年4月22日: 日本の政治団体が魚釣島に
尖閣神社
を建立
2002(平成14)年4月: 日本政府、島を所有者より借り上げ、警備と管理を開始
2005(平成17)年2月:
海上保安庁
、「魚釣島灯台」 の管理を開始
2005(平成17)年3月12日: 大浜長照石垣市長、魚釣島上陸検討、海保に協力要請
2008(平成20)年12月19日: 沖縄県議会と石垣市議会、支那の領海侵犯に抗議する決議を採択
2009(平成21)年2月1日: 海上保安庁、ヘリ搭載大型巡視船(PLH型)常時配置開始
2010(平成22)年9月7日: 〓其雄による領海侵犯、海保への攻撃事件。仙石由人内閣官房長官が情報隠蔽開始
2010(平成22)年11月4日:
sengoku38
こと一色正春航海士がYouTubeにて海保の撮影した動画を公開
2012(平成24)年3月2日: この日までに政府は離島の命名を終える
2012(平成24)年4月27日: 東京都の尖閣購入計画のため、寄附金口座開設
領有まで
外務省の資料によると、この島は1885(明治18)年以降、明治政府が沖縄県を通じて何度も現地調査を行ない、
無人島
であるのみならず、清朝(支那)の支配が及んでいないことを慎重に確認した上で、1895(明治28)年1月14日に閣議決定によって日本国領に編入された、としている。
もちろん当時の「清朝の承諾」など得てはいないが、沖縄(琉球)を日本の領土に正式に編入した際にも当時の「清朝の承諾」は得ていない。沖縄(琉球)の時には清の抗議はあったが、後の日清戦争(1894(明治27)年7月〜1895(明治28)年3月)で日本が勝利したことにより、尖閣含む琉球の帰属が日本であると国際的に確定した。尖閣が日本国領に編入されたのは、この日清戦争終結間近の1895(明治28)年1月14日ということである。
なぜなら、元々清は遠洋の島には殆ど興味がなかった。沖縄を琉球と呼び冊封体制で囲んでいたことは事実だが、実際に沖縄を実効支配していたわけではない。陸続きの朝鮮は同じ冊封体制で隷属させ支配していたが、遠洋の琉球には興味を示していなかったことは、扱いの差からも判断できる。
石油埋蔵発覚
1968(昭和43)年秋に行なわれた
西沖縄海
の海底調査の結果、西沖縄海の大陸棚には豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が指摘され、これを契機として1971(昭和46)年以降、支那・台湾が同諸島の領有権を主張し始めた。
要するに、
石油
欲しさに島を奪いとろうという魂胆である。
これを「尖閣問題」といい、支那共産党曰く、この島は
中華人民共和国
の
台湾省
宜蘭県に属する島としている。支那名は「釣魚台列島」。
但し、この島々は明らかに日本領であることから、現日本国政府は「領土問題は存在していない」との立場を取っている。
特徴
海保警備
現在、尖閣諸島周辺海域の安全や治安を確保するため、第十一管区海上保安本部により常時巡視船艇や航空機を配備することで領海警備が行なわれている。
所有者、管理者
島の土地
現在の登記簿上の所有者は以下の通りである。なお、4つの岩場は所有者が無い。他の小島も所有者がいないようである。
魚釣島
、南小島、北小島: 栗原国起
久場島
: 栗原和子(栗原国起の母)
大正島
: 財務省
この民有地である4島、魚釣島、久場島、北小島、南小島は、国(総務省)が借り上げることで、国が安定して管理・防衛できるようにしている。このうち大正島と久場島は米軍の射爆撃場として提供されている。
もともとこの4島は、1895(明治28)年に日本領に編入された後、1932(昭和7)年、島に鰹節工場を建設した島の開拓者である古賀辰四郎に貸与、その後有償で払い下げられた。戦後の一時期はアメリカ管理下に置かれたが、古賀家は固定資産税を沖縄(政庁)に払い続けていた。
その後島は辰四郎の息子、善次郎に相続されたが、善次郎には子がなく、島の相続問題が発生した。その際、「自然破壊をしない」という条件で、栗原家に譲渡された。
まず1972(昭和47)年に2島、南小島・北小島を、埼玉県大宮市で結婚式場「菱屋会館」を経営していた実業家、栗原国起に譲渡した。1978(昭和53)年に古賀善次が死去し、残る島は妻の花子が相続。同年、花子は魚釣島も栗原氏に譲渡したという。ただ、久場島がどのような経緯で栗原家に渡ったのか定かではないが、1972(昭和47)年には米軍の射爆撃場となっていたということである。
価格は一説によると一坪約30円で、つまり約4,630万円で4つの島は買われたとされる。その目的は生前に善次郎と約束した自然を守ることにあり、投機目的や政治目的ではないようである。
ただ、交通がすこぶる不便な島で、島には一回しか行ったことが無く、管理は何もしていないという。
東京都への売却
2011(平成23)年9月以降、水面下で石原慎太郎東京都知事と地権者の間で東京都への売却の話が進められてきた。石原慎太郎知事は、中山義隆石垣市長とも会談し賛同を得られたことから、この件をアメリカで発表した。
地権者と石原知事を仲介したのは自民党の山東昭子参院議員だった。山東議員によれば、地権者は、2010(平成22)年9月に発生した支那人による領海侵犯、仙谷由人によるビデオ隠蔽、
sengoku38
によるビデオ公開に至る一連の事件で民主党政権の対応に不満や不安を覚えたという。国を守るために所有を続けて来たが、個人で守っていくことには限界を感じたことから青年会議所の活動を通じて長く親交があった山東議員に相談したところ、山東議員の紹介で石原知事と面会、以降数回にわたり3人で会合を持ったという。
結果地権者は、石原知事になら売却しても良いとの意思を固めたとのことである。現地は豊かな漁場であり、また手付かずの自然が残っている。地権者は、島を誰もが訪れることが出来る自然公園などとして活用することや、島の開拓者の像の島内建立などを希望しているという。
支那
地権者の実弟、栗原弘行によると、島の買い取りに最大350億円を提示した支那関係者がいたとする。
島の地下資源の埋蔵量は300兆円との試算があり、350億円で買っても大黒字との目論見があったらしい。
補足
灯台
尖閣諸島の灯台は二機で、魚釣島と北小島にある。いずれも、日本の政治団体、日本青年社(指定暴力団 住吉会系右翼団体)が建設したものとされている。
魚釣島の灯台は1988(昭和63)年に建設され、その後漁業関係者に譲渡されていた。2005(平成17)年2月に所有者より所有権放棄の意思が示されたことから、同灯台は民法の規定により国庫帰属財産となった(内閣府が拾得物として取得)。
その後、この灯台は
海上保安庁
に委ねられ、海保により「魚釣島灯台」 として管理されることとなった。
神社
2000(平成12)年4月22日、日本の政治団体である日本青年社により、魚釣島に神社「
尖閣神社
」が建立された。木造の祠とされている。
御神体等は明らかでないが、神社の御祭神は
伊勢神宮
から分祀された
天照大神
で、周辺海域での航海の安全祈念を目的としているとされる。
しかしこの神社(祠)は、過去に、不逞
支那人
の不法上陸の際に破壊されてしまったとされる。
日本人でも上陸はできない
尖閣諸島は、日本政府が所有者と使用契約を結んでいるだけであり、現時点では、あくまでも「民有地」である。従って、仮に日本国籍保有者でも遭難等の緊急時ではない限り、無断で上陸すると何らかの罪に問われる可能性がある。
今後、都有地になった後は、上陸が認められるなど何らかの変化があると見込まれる。
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