布施
読み:ふせ
六波羅蜜の一つで利他の行。見返りを求めず、他者に施しを与えること。檀波羅蜜、檀那波羅蜜。
概要
布施は、必ずしも金品とは限らず、労働や法などでも良い。
金品を布施する財施、法を説く法施、他社の不安や心労を除く無畏施の三つを三施といい、それ以外に更に無財の七施という7種類の布施がある。
一般に僧侶に対してされる金品での感謝は財施、対して僧侶が在家者に対し行なう読経や説法は法施ということになる。
特徴
対価
僧侶も含めて、出家者といえども仙人では無くただの人間なので、霞を食べて生きているわけではない。従って、生活のためには在家者からの財施は欠かせない。
とはいえ、真の布施とは見返りを求めないものなので、○○円払って読経してもらう、○○円貰ったから読経してあげる、というのであれば、それは既に布施とは言いがたく、単なる商行為でしかない。これでは互いにとって(仏教的には)利益にならない。
布施は「三輪清浄」でなければならない。
現実的に商売のようになるのは已むを得ないところがあるが、布施ということを互いに理解し合うことが必要となる。
感謝
布施をした/された後にも注意が必要である。
例えば寺の住職に財施をした場合でも、住職に「誉めてもらう」あるいは「感謝の言葉を述べてもらう」というのは、見返りを求めることになってしまう。
「自分の福田を植える」ことが布施の真の目的であり、自分が積んだ功徳はいずれ全て自分のところへ帰ってくる、というのが仏教(大乗仏教)である。しかしこのご時世、何も言わなければ坊主丸儲けと批判されるのは必至であろうし、かといってペコペコとお礼をする坊主は僧侶というより仏教徒としてすら怪しい。
そこで布施を受けた時には「財法二施 功徳無量 檀波羅蜜 具足円満」という偈を唱える慣わしとなった。これは「財施も法施も共に等しく限りない功徳を持つ。檀波羅蜜(財施)は充分であり、功徳は満ち足りている」という意味になる。
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