大垣夜行
読み:おおがきやこう
外語:Oogaki Night-train

 かつて存在した、東京駅と岐阜県大垣駅を結んでいた夜行普通列車の俗称。現在のムーンライトながらの前身であり、今もムーンライトながらのことを大垣夜行と呼ぶことがある。
目次

路線の特徴

車両
 165系電車が使われていた。

沿革
 元々は、東京〜大阪を結ぶ夜行普通列車だった。
 これが1968(昭和43)年10月の国鉄ダイヤ改正で廃止されることになるが、存続を求める声が起こり、当時の石田礼助国鉄総裁のツルの一声で、東京から美濃赤坂(岐阜県)に至る下り列車と、大垣から東京に至る上り列車の存続が決まったという歴史がある。
 翌年1969(昭和44)年10月の国鉄ダイヤ改正で下り列車の終着駅が大垣に変更され、この上下の無名の列車は、自然発生的に「大垣夜行」と呼ばれるようになっていった。
 古くから利用している人は、「ガキヤ(垣夜)」、「ガキドン(垣鈍)」などとも呼んだ。

人気
 設備は新幹線やブルートレインに劣るものの、普通列車であるため、特急料金が不要という特徴があった。
 このため、青春18きっぷの利用可能期間は貧乏学生の東西の足として活躍していた。
 特にコミケ期間中はコミケ参加者が大量になだれ込み、「異様な雰囲気」と混雑を呈していた。夏休みなどの混雑期には、積み残しを回収する品川始発の臨時列車が運転され、こちらはもっぱら「大垣救済臨」と呼ばれていた。

そして廃止
 1996(平成8)年3月のダイヤ改正で全車指定席快速「ムーンライトながら」に変更され、車両も特急型電車の373系が使われるようになった。
 一方の大垣救済臨は167系急行型電車あるいは169系急行型電車が利用されるという形でそのまま残されたものの、2002(平成14)年8月11日(この日はコミックマーケットの最終日)の下りの救済臨に多数の積み残しを発生させる事態となった。翌年夏からの救済臨時列車は183系特急型電車を利用した全席指定の普通列車、ムーンライトながら91号、92号になった。

再検索