奄美諸島
読み:あまみ-しょとう
外語:Amami Islands

 南西諸島に属する薩南諸島のうちの南部、奄美大島周辺の諸島のこと。鹿児島最南端でもある。
目次

特徴


 
 次のような島々からなる。

文化圏
 奄美諸島は鹿児島県だが、元々は沖縄の文化圏である。
 琉球王朝に統治されたこともあるが、薩摩藩(現在の鹿児島県)による琉球平定後、薩摩の直轄領となり、その流れで廃藩置県後に鹿児島県となった。

占領期

群島
 日本が大東亜戦争に敗戦した後、沖縄および周辺は米軍に占領された。
 米軍政府は、沖縄宮古八重山、奄美の4つの群島に分け、政府の下に琉球人による自治政府を作る。奄美諸島という地域分類は、この時生まれたとも言える。

政府
 1946(昭和21)年10月に「臨時北部南西諸島政庁」が発足、1950(昭和25)年11月には「奄美群島政府」に昇格し、小国のようになった。当時非合法組織だった日本共産党は「奄美人民共和国」として独立を目論んでいた。
 しかし、奄美含む全4群島の知事選で日本復帰実現を公約に掲げる候補が当選した。そこでアメリカは群島政府を廃止、1951(昭和26)年4月に「琉球臨時中央政府」を設置、翌1952(昭和27)年4月に「琉球政府」を発足させた。琉球政府の酋長である主席は公選ではなく、米軍からの任命によった。

復帰運動
 1951(昭和26)年9月に調印されたサンフランシスコ講和条約で奄美諸島および沖縄が日本から切り離され、アメリカの占領下となった。
 これにより奄美は本土との往来や商売(貿易)が出来なくなり、鹿児島県や日本国からの補助金も無くなり、島民は職を失った。やむを得ず沖縄本島へ出稼ぎに出ざるを得ず、本土復帰運動は激化した。
 アメリカも持て余した結果、1953(昭和28)年12月25日に「クリスマスプレゼント」として奄美諸島を日本に返還したのである。
 とは言え、今度は沖縄本島で働いていた人々は、沖縄がアメリカ、奄美は日本ということで沖縄での仕事を続けることに大きな規制が掛かるようになり、様々な差別が生まれた。問題が解決したのは、沖縄も日本に返還され全てが日本、日本人に戻った1972(昭和47)年になってからである。

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