東京国際空港
読み:とうきょうこくさいくうこう
外語:Tokyo airport

 東京都大田区の湾岸人工島による国内最大の空港で、関東二大空港の一つ。通称は「羽田空港」。
目次

空港情報
 B滑走路は当初横風用であったが、D滑走路の供用開始に伴い、南風時用となった。

概要

沿革

空港名
 1931(昭和6)年8月に「東京飛行場」(羽田飛行場)として開港し、日本の民間航空黎明期における重要な飛行場となった。
 第二次世界大戦後は米軍の管理下に置かれていたが、1952(昭和27)年に返還された。
 この時、名称が「東京飛行場」(羽田飛行場)から「東京国際空港」に改められ、また管理者として日本空港ビルデング株式会社が設置された。

羽田と成田
 開港以来、発達を続ける日本の空を支え続けていたが、羽田だけでは首都圏の航空需要をまかないきれなくなった。
 そこで、首都圏第二空港として新東京国際空港(現・成田国際空港)が設置されることになった。

国内便用空港
 1978(昭和53)年の新東京国際空港開港後(現・成田国際空港、以下同)は、基本的に国内線用の空港となった。
 政治的問題により、台湾の航空会社である中華航空(現・チャイナエアライン)と1989(平成元)年に発足したエバー航空の路線だけは、例外的に羽田発着の定期国際線として残されていた。
 これらも、2002(平成14)年4月18日の新東京国際空港の暫定平行滑走路供用開始にあわせ両社とも成田発着に変更されたため、羽田の定期国際線は消滅。これ以後、国際線はチャーター便のみが就航している。
 2003(平成15)年11月30日からは、南鮮ソウル(金浦空港)線(定期チャーター便)が就航している。

特徴

アクセス
 空港中央に高速湾岸線(B)と国道357号東京湾岸道路が走っており、高速道路から空港へ行くことが可能。
 また国道131号環八通りが高速道路などに接続されている。
 鉄道も東京モノレール京急空港線があり、交通アクセスに関しては申し分ないものとなっている。

滑走路
 開港当時は現在よりも内陸にある空港だった。
 成田開港後も高まる需要と騒音公害対策で、1984(昭和59)年1月から沖合展開事業(通称、沖展)が行なわれている。
 現在は第3期事業が行なわれているが、更なる拡張計画として「再拡張事業」が進行中である。

再拡張事業
 「再拡張事業」は、横風用のB滑走路と並行した新しい滑走路を沖合いに設置するというものである。
 これによって、同空港の年間発着枠が現在の約27.5万回から40.7万回以上に伸びる見込みであり、国内線の需要拡大に配慮しても国際線に枠を割り当てる余裕が残ると判断され、増加分のうち年間3万回、1日100便程度の近距離定期国際線の再開が予定されている。
 国土交通省は、羽田空港は国内線、成田空港は国際線の拠点とする基本姿勢を堅持するとしているが、1日100便ともなればかなりの規模であり、成田と並立する国際空港となる。
 これも全て地元の反対運動により、成田空港がいまだ完成していない不便な空港であることに全ての原因がある。成田が不便で使用しにくい状態の改善が見込めないのであれば、首都圏第三空港や羽田再拡張事業の話が出てくるのも当然である。そうなれば、相対的に成田の地位の低下は免れず、それは地元産業の地盤沈下も伴うものとなる。これは自業自得とも言えることであるが、羽田の再拡張事業が始まり、羽田の国際線再開が検討され出すと、その反対運動が繰り広げられることになった。
 これは大阪国際空港の騒音公害で住民訴訟を起こし、空港閉鎖を求めていた一方、関西国際空港の建設が決まり、いざ空港の閉鎖が決まった途端に残留運動を行なった伊丹市民よりも質が悪いと言わざるを得ない。

横田空域
 空港の西側には横田空域と呼ばれる、日本国に管制件のない空域が存在し、西側から、もしくは西側への飛行に大きな障壁となっている。
 現時点では、大阪便を除くほぼ全便がこの空域を避けるように飛行しており、不自然な飛行ルートによる燃料や時間のロスが発生し、問題となっている。

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