東トルキスタン共和国
読み:ひがしトルキスタンきょうわこく
外語:Eastern Turkistan Republic

 支那大陸の西部、中央アジアの東トルキスタン地域に位置するはずの国。
目次

現状
 国とはいっても国内に政府はなく、国連にも加盟していなければ地図にすらその名はない。なぜなら、現在は支那の共産党(以下、支共)により侵略され、支共はここは中華人民共和国の一部の「新疆ウイグル自治区」だとしているためである。
 亡命政府はアメリカ合衆国のワシントンDCにあり、2004(平成16)年9月14日に設立された。

国に関する情報
 地域は中央アジア。面積・人口等は不明。首都ウルムチ。
 元首は大統領、政治体制は共和制・大統領制(直接選挙制)、経済体制は資本主義と思われる、議会は一院制(60議席以上、人口6万人に1人まで)、通貨は未定。
 主要言語はウイグルチュルク語(公用語)、国教はイスラム教、人種/民族はトルコ民族(ウイグル、カザク、キルギス、モンゴル、タジク等)。
 国旗は青天星月旗(青地に三日月と星)で、トルコ共和国の国旗とは背景色が違うだけである。
 国歌は民族の歌と民族の誓い。国祭日は未定。
 時間帯はUTC+6時間(新疆時間)、主要産業は不明。
 国際電話の国番号は未定。ISO 3166国名コードは存在しない。ccTLDも存在しない。

国の歴史や状況

略史

主な出来事
 トルキスタンとはトルコ人の住む地という意味である。元々、歴代の支那国家とは無関係の、トルコ系ウイグル族が暮らす地域であったが、18世紀になり満州族の王朝である清朝(清国)に侵略征服されてしまった。
 1912(大正元)年になり辛亥革命によって清朝が崩壊し、支那には中華民国が成立した。その後東トルキスタンは中華民国新疆省となった。
 やがて省主席が暗殺されてから様々な勢力が入り混じるようになり国内は混乱、その中でウイグル族(イスラム教徒)は再び国家再建に立ち上がり、1933(昭和8)年には「東トルキスタン・イスラム共和国」が、1944(昭和19)年には「東トルキスタン共和国」が建国された。
 両者は似た国名だが全く別の国であり、支配地域も異なる。区別のため、最初の国は第一次東トルキスタン共和国(First East Turkestan Republic)、後の国は第二次東トルキスタン共和国(Second East Turkestan Republic)と呼び分けることもある。
 しかし第一次・第二次共に、この国の歴史についてはよく分からないことが多い。

第一次
 第一次は汎トルコ主義やジャディード運動の影響によって産まれたが、僅かな間しか存在できなかった上、東トルキスタンのごく一部を統治したに過ぎなかった。

第二次
 第二次は第二次世界大戦末期の混乱の中、旧ソ連の影響などを受けながらカザフスタンとの国境に近い新疆北部に伊寧(イーニン)を首都として誕生した。
 この国も東トルキスタンのごく一部を統治したに過ぎなかった。後に支那の内戦に共産党が勝利し、人民解放軍は周辺国への侵略を開始、もって新疆ウイグル自治区となるまでこの国は存続した。その後共産党は中華人民共和国建国を宣言した。共産党はこれを「新疆解放」と呼んでいる。

亡命政府樹立
 2004(平成16)年9月14日になると、独立を目指すグループがアメリカのワシントンDCに亡命政府を樹立し、同年11月25日に「東トルキスタン共和国 憲法」を発表している。
 憲法第8条によると
 アメリカ合衆国首都ワシントンにおいて成立した東トルキスタン亡命政府が東トルキスタン人民を代表して職権を行使し我々の祖国を侵略者支共政権の手中から解放するまでは、東トルキスタン共和国を代表する唯一の合法的な政府である。
 としている。以降、これを仮に「第三次」と呼ぶことにする。

第三次
 第三次東トルキスタン共和国は、領土は東トルキスタン全域であるとしているが、この東トルキスタンには現在、支那の石油石炭資源の約30%がある。このため支共は絶対に手放すつもりは無く、ウイグル族を徹底的に弾圧・虐殺しているのが現状である。
 東トルキスタン情報センターによれば既に1000万人ものウイグル族が殺されているとされ、内訳は
 とされる。

国内の状況
 現在東トルキスタン国内には、暫定政府とは別の複数の武装組織が作られている。
 このうち「東トルキスタン解放組織」(ETLO)を名乗るメンバーは2005(平成17)年9月26日、民族抑圧を行なって来た支共に対し宣戦布告をしている。

隣接する国・地域
 西から北には欧州や中東が接し、東部はモンゴル国や支那領・内モンゴル、南部はインド、支那領・チベットがある。

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