九条教
読み:きゅうじょうきょう

 日本国憲法第9条経典および題目とし、改憲をタブー(禁忌)とする、日本の新興カルト宗教護憲教の一派である。
目次

概要

由来
 戦後、共産主義者や社会主義者を中心に、護憲派の勢力が伸びた。
 日本を共産化するためには、日本の「弱体化」が必要不可欠だったからで、そのためには憲法第9条は好都合だったからである。
 しかし近年になり自主憲法制定が現実味を帯び始めると、護憲派はカルト宗教色を帯び始めた。黒幕は変わらないが、活動内容はオブラートに包み隠蔽し、護憲が平和のためになるかのように装い始めた。その結果が、俗に九条教と呼ばれるものである。

活動方針等
 理由は不問、とにかく「憲法九条だけ」を大事にし、もって日本の戦争反対の立場を取る。
 九条を死守するためなら現実は顧みず、また誰を犠牲にしても構わない。
 宗教的に表現するなら、日本国憲法に帰依し、日々憲法第9条を読経しながら、布教活動(折伏)を行なう、と言える。カルトとしての性質は充分に備えている。

特徴

善悪基準
 九条教での善悪の判断基準は、次のようになる。
 つまり、二重の基準(ダブル・スタンダード)である。

日本だけが悪い
 九条教では、日本だけが悪いと考える。
  1. 戦争は悪いこと。対話、話し合いで解決するべき。
  2. 日本の自衛隊は、平和憲法に反する戦争の道具で、平和を脅かす存在である。
  3. 支那北鮮が軍拡するのは、日本と米国がアジアの平和を脅かしているから。生存のため、仕方がなく軍拡をしている。
  4. 違憲な自衛隊があるから、アジアの平和は乱れる。
  5. 自衛隊がなければ、今のような軍拡は必要がなくなる。
  6. 結果、アジアは平和になる。
  7. 従って、自衛隊は速やかに解散するべきである。
 つまり、アジアの、そして世界の恒久平和を乱す元凶は、実は日本の自衛隊である。日本は速やかに武装解除をするのが、世界の平和の第一歩。これが、九条教の最終的な結論である。
 ジュネーブ条約を根拠とするとされる「無防備地域宣言」(または無防備都市宣言)を自治体で制定させようと国内で活動家が動いているが、これも九条教の結論を実現させるための活動である。

助けて無防備マン!
 「軍隊が無ければ襲われない」ことが証明できないと、この理論(九条教の教義)は実証不可能である。しかし、この理論を実証できる土地は地球上には無く、従って永遠に実証はできない。しかし九条教の思想では、「自明の理、証明不要」として扱われている。
 その一方で歴史を省みれば、反証は無数に存在する。力が及ばず、他国や他文明に滅ぼされた国や文明は、枚挙に暇がない。
 また、「戦争、国同士の喧嘩」という、今の日本には非現実的な話ではなく、より身近な例でも、無防備が本当に安全かどうかは検証できる。
 例えば、街中を歩くときは無防備、丸腰が常識である。何の武器も持ってない状況であるのに、通り魔、ひったくり、強姦などの被害に遭うのは、何故なのか。
 留守の家に空き巣が入るのは、何故なのか。
 悪い人、つまり敵の良心に期待するのは、無理なことなのである。

対話
 戦争が国内公共事業である米国も、実は対話をしている。しかし「対話、話し合いで解決するべき」というのは、夢想である。なぜなら多くの場合、戦争とは外交という対話が決裂した結果だからである。
 「諸君 私は戦争が好きだ」などというのは、平野耕太著「ヘルシング」の少佐くらいしかいない。国は、理由もなく戦争などしない。国民が死ぬからである。
 なお、この「対話」も、最終的には暴力と言う切り札があるからこそ、実現できるとも言える。労働組合が賃上げを要求できるのは、組織という力、組合員という数の暴力があるからであり、個人でベアベア叫んでも誰も聞く耳など持たない。
 つまり、最後にものを言うのは、暴力以外には無い。これは、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大も実践した。彼の結論は、百の議論より一の暴力だったわけである。

まずは身近から無防備に
 無防備を信仰すること自体は、日本では合法であり、人に迷惑を掛けなければ、実践することも自由である。
 しかし、無防備を論ずる者が、夜や、外出時に家に鍵を掛けているのかどうかが、彼らの本気さの指標となる。殆どの場合、鍵で「防備」し、のみならず民間のセキュリティで「厳重な防備」をしている。
 発言と行動が矛盾することは、美しいことではない。
 鍵は掛けず、また「無防備宣言」として無施錠、無警備を宣言する看板でも立てることが、本気の無防備住宅であろう。

結論
 日本国憲法第9条は、実は「国際紛争を解決する手段」以外なら、軍事力を使っても良いことになっている。軍事力の一切を使ってはいけないわけではなく、つまり自衛隊は合憲である。もっとも、ではどういう場面で使えるのか?という点は、様々な議論がある。
 さて、日本の周辺地域は不幸にも紛争地帯(朝鮮半島、中共vs台湾、ロシア他)であるが、世界第二位の経済力を持ち、温厚で礼儀正しい国民が無防備でいたらどうなるか、おのずと結論は出てくるところである。
 9条という空証文で平和が守られるなら、ローマ帝国だって滅びてはいないのである。

カルト性
 九条教の信者で、経済アナリストとして知られる森永卓郎が、2004(平成16)年3月29日のテレビ番組「TVタックル」で、次のように語った。当該映像はYoutubeにもアップロードされていることが確認されている。
 日本人は押し付けられたかも知れないけど
 憲法9条って非常に美しい条文を、受け入れて今まで守ってきたわけですよ。
 で、私はね、仮に、とんでもない奴が攻めてきたら、
 もう、黙って、殺されちゃえばいいんだと思うんですよ!
 (エーッ!/スタジオの観衆ら)
 この後は大混乱となる。
 それで戦争しなくって、平和を守るんだって言い続けて、
 ああ、そんないい民族がいたんだなって思えばいいじゃないですか!
 九条教も狂信が進むと、信者である無しを問わず、「皆で殉教しよう」、という境地に至るようだ。
 これは、終末論を唱え、テロルや集団自殺をしようとするカルト教団と、何ら変わる所はない。

再検索