加藤智大
読み:かとう-ともひろ
外語:KATO^ Tomohiro
秋葉原
で無差別殺傷事件(
秋葉原通り魔事件
)を起こした主犯。殺人犯、死刑囚。
目次
個人情報
沿革
特徴
事件前
事件
裁判
地裁
控訴審
上告審
死刑執行
個人情報
本名 ‐ 加藤智大
生没 ‐ 1982(昭和57)年9月28日〜2022(令和4)年7月26日
出生地 ‐ 青森県五所川原市
出身地 ‐ 青森県青森市
死没地 ‐ 東京都葛飾区(東京拘置所)
国籍 ‐ 日本国籍
民族
‐ (不明)
死刑執行により東京拘置所にて没。満39歳没。
沿革
1982(昭和57)年9月28日: 生まれる
2008(平成20)年6月8日: 「
秋葉原通り魔事件
」を起こす、現行犯逮捕
2008(平成20)年10月10日: 東京地検、
殺人罪
、
殺人未遂罪
、
公務執行妨害罪
、銃刀法違反の罪で起訴、求刑は「死刑」
2011(平成23)年3月24日: 東京地方裁判所 判決「
死刑
」 (村山浩昭裁判長)
2011(平成23)年3月31日: 原告、東京高等裁判所に
控訴
2012(平成24)年9月12日: 東京高等裁判所 判決「
控訴棄却
」(=
死刑
) (飯田喜信裁判長)
2012(平成24)年9月25日: 原告、
最高裁判所
に
上告
2015(平成27)年2月2日: 最高裁判所 判決「
上告棄却
」(=死刑が確定) (桜井龍子裁判長)
2022(令和4)年7月26日午前: 東京拘置所にて死刑執行
特徴
事件前
青森県で生まれ育ったが、犯行当時、仕事の関係で静岡県裾野市のワンルームマンションで一人暮らしをしていた。
関東自動車工業東富士で、塗装部門の検査などを、日研総業(東京都大田区)の派遣社員としてしていた。
その後リストラに遭い、凶行に至る。
事件
2008(平成20)年6月8日、「
秋葉原通り魔事件
」を起こす。
事件当時はソフマップがあった、
中央通り
と
神田明神通り
の交差点の赤信号に2トントラックで突っ込んだ。神田明神通りを西から東方向(秋葉原駅方向)に走らせ横断中の歩行者5名を撥ね飛ばし、うち3名死亡。
交差点を渡ったところでトラックを降り、中央通りで、持っていたナイフで歩行者、警察官など14名を次々に刺し、うち4名死亡。
結果、7名を殺害し、10名に重軽傷を負わせた。
裁判
地裁
事件の凄惨さから、
死刑
を免れるのはおよそ不可能な状況での裁判となった。
犯行後、加藤は
精神病
を自称したが、精神鑑定で「責任能力あり」との結果が出されたため、勾留期限の2008(平成20)年10月10日、東京地検は加藤を
殺人罪
、
殺人未遂罪
、
公務執行妨害罪
、銃刀法違反の罪で起訴した。
2011(平成23)年3月24日、東京地方裁判所・村山浩昭裁判長は、
求刑
どおり
死刑
を言い渡した。その後、加藤智大被告の弁護士が、判決を不服として2011(平成23)年3月31日に東京高等裁判所に控訴した。
控訴審
弁護側は「死刑は避けるべきだ」「犯行状況の記憶に欠落があることなどから、何らかの精神障害で心神喪失か耗弱(こうじゃく)だった疑いがある」などと主張していた。
控訴審は2012(平成24)年6月から始まったが、加藤被告は一度も出廷せず、被告人質問も実施されないまま結審、控訴審判決公判が2012(平成24)年9月12日に東京高裁で開かれ、飯田喜信裁判長は1審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。弁護側は、従来からの「被告人は精神障害の疑いがある」との主張で2012(平成24)年9月25日、最高裁判所に上告した。
上告審
弁護側は「被告が利用していた掲示板サイトに被告の偽物が現われ、強いストレスを受けた」「このため事件当時は急性ストレス障害だった可能性がある」などと主張。「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある」として極刑回避を求めた。
検察側は「完全な責任能力を認めた判決に誤りはない」として死刑の維持を求めていた。
2015(平成27)年2月2日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は1、2審判決を支持し、弁護側の上告を棄却した。これにて死刑が確定した。
死刑執行
古川禎久法務大臣は死刑の執行を命じ、2022(令和4)年7月26日午前、東京拘置所にて死刑が執行された。
事件から14年、死刑確定から7年余りが過ぎての死刑執行であった。
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