真田幸隆 |
辞書:文化用語の基礎知識 戦国時代編 (LHMIDAGE) |
読み:さなだ-ゆきたか |
外語:SANADA Yukitaka |
品詞:人名 |
1513(永正10)年〜1574(天正2)年。弾正忠。幼名二郎三朗。一徳斎。戒名 笑傲院殿月峯良心大庵主。
滋野氏の一族であったが、1545(天文14)年の武田信虎、村上義清、諏訪頼重らによる海野平侵攻において一説には妻の実家とされている羽尾に落ち延びた。同じく落ち延びた父海野棟綱があくまでも関東管領上杉氏の権威に頼って旧領を回復しようとしていたのに対し、時代の流れを見定め、仇敵武田信虎の息子である武田晴信(信玄)に仕えた。
その後、村上義清の戸石城攻略、上州吾妻群の攻略などでその知謀をいかんなく発揮し、武田二十四将の一人に数え上げられるほどであった。
1573(天正元)年、武田晴信(信玄)が病死すると後を追うように翌年5月19日死去した。
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