真田信尹 |
辞書:文化用語の基礎知識 戦国時代編 (LHMIDAGE) |
読み:さなだ-のぶただ |
外語:SANADA Nobutada |
品詞:人名 |
1547(天文16)年〜1631(寛永8)年。源次郎。市右衛門。信昌。隠岐守。真田幸隆の四男で、真田昌幸の弟。
1569(永禄12)年に北条綱成の深沢城を攻めた時には、綱成の旗印である「地黄八幡」を奪って名を挙げている。
武田氏滅亡後は、兄昌幸と共に信濃・上田城にあったが、やがて池田輝政を経、徳川家康に仕える。その後、一時蒲生氏郷に仕えるも、再度家康に仕えた。甲斐・巨摩郡に5千石を領有。
大坂の陣では、徳川家康に命じられて、大坂城に籠もる真田信繁(幸村)を信濃一国を与える条件で説得に赴くが失敗。しかしながら戦後所領を千石加増されている。
長寿な人で86歳まで生き延びた。
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