ラジオ関西
読み:ラジオかんさい
外語:RADIO Kansai, Ltd.

 日本のAMラジオ放送局の一つ。現在、どのラジオネットワークにも参加していない独立系ラジオ局である。地方民間放送共同制作協議会加盟局。
目次

会社概要

基本情報
 本社の最寄り駅は神戸市営地下鉄ハーバーランド駅、神戸駅。

放送免許等

沿革

特徴

愛称・略称
 「神戸」と「関西」で揺れており、数度の変遷をたどっている。
年代愛称略称備考
〜1959(昭和34)年ラジオ神戸CR正式名称は「神戸放送」
1960(昭和35)年1月〜1994(平成6)年9月ラジオ関西CR正式名称が「ラジオ関西」に
1994(平成6)年10月〜2004(平成16)年3月31日AM KOBE558(AM KOBE)AMK読みは「エーエムこうべ・ゴーゴーエイト」
2004(平成16)年4月1日〜11月30日AM KOBE・ラジオ関西AMK移行予定を踏まえ暫定併用
2004(平成16)年12月1日〜12月31日AM KOBE・ラジオ関西AMK・CRK移行予定を踏まえ暫定併用
2005(平成17)年1月1日〜ラジオ関西CRK「ラジ関」と略されることもある
 CRKはコールサインのCRと関西、神戸の頭文字Kを組み合わせた略称。また、2004(平成16)年12月1日付けでウェブサイトのURIやメールアドレスも変更された。(www.amkobe.co.jp → jocr.jp)

番組

タイムテーブル
 現在は朝5時起点の24時間放送局である。2007(平成19)年4月1日から放送管理が従来の手作業からコンピューターへ切り替わったことなどから可能となった。
 ちなみにテクニカルメンテナンスの時間が設けられていないため、完全な24時間放送である(ただし不定期で送信所のメンテナンスが入る。これは2009(平成21)年10月現在、民放AM局では唯一)。

番組の特徴
 独立系で他局に左右されないせいか長寿番組が多く、固定リスナーも多い。
 これにより全体的にリスナー年齢層も高いと予想されるが、アニラジ枠などでは若いリスナーも多い。

アニラジ
 「アニたまどっとコム」というアニラジ枠を持ち、自社制作やネット番組問わず多く放送している。これは在阪局ではラジオ大阪と並ぶ規模で二強となっている。
 この起源は1984(昭和59)年、現在も続き放送回数1,000回を超える看板番組「青春ラジメニア」の前身となる「アニメ玉手箱」を放送開始したことに遡れる(枠名称の「アニたま」はここから取っている)。
 さらに1991(平成3)年には局方針転換によりラジオ日本で打ち切りとなった「林原めぐみのHeartful Station」を引き取る形で放送を開始している。
 これらの土壌からアニラジも多く、さらに2005(平成17)年には「アニたまどっとコム」枠をさだめ増強を図った。
 なお、自社制作のアニラジも殆どが東京支社で録られているので、神戸本社での出待ちはせいぜいラジメニアのゲストと岩ちゃんかおりん両パーソナリティくらいであろうと思われる。

有名・長寿番組
 兵庫県の放送局なので宝塚の話題などもある。
 また前述の通りアニラジの歴史は古い。

送波

範囲
 出力は小さいが北東方向に向いている指向性アンテナと低い周波数のおかげで、地域局でありながら近畿広域圏はもとより、中京広域圏、中国地方、四国地方の広範囲で直接受信聴取可能である。
 夜間・季節によっては、若干障害はあるものの東日本・東北でも聴取可能である。
 このため、アニラジ番組などはラジオ関西のみで放送する番組も多い。
 逆に同じ周波数の韓国KBS大邱局のために殆ど聞けない地域もあり、特に山陰地方や九州地方では一日中受信不可能である。

ケーブルテレビ再送信
 ラジオ関西のサービスエリア内であるにも関わらず地形、位置などの問題により正常な聴取が難しい地域にはケーブルテレビ回線でFMラジオとして再送信されている。

補足

阪神・淡路大震災

被災
 阪神・淡路大震災(平成7年(1995年)兵庫県南部地震)により本社屋、さんちかサテライトスタジオが使用不能になってしまった。倒壊こそ逃れたものの、1週間後には全壊指定を受け放棄を余儀なくされる程に損壊したためである。
 しかし幸い、放送機器とオンエアスタジオ(古いスタジオであったが防音効果を上げるための浮き床構造が地震の震動を吸収するという思わぬ威力を発揮した)が使用可能であり、2ヶ月前に移設した送信所も無事であった。
 そこで震災から14分後の6時から69時間、コマーシャル抜きで特別番組を放送し、被災地に情報と励ましを与えた。
 そののち社屋の全壊指定などから仮設の社屋を立ち上げ、以後放送を行なった。

舞台裏
 震災直後、各ライフライン機関、気象台、消防、警察、県、市などとの連絡は電話回線の途絶混乱により全く取れなかった中、奇跡的に生きていた共同通信のFAX専用回線や、出社した社員などの情報を頼りに、できる限りの情報を伝えた。
 また普段はリクエストなどに使う電話番号も生きており、安否情報、生活情報の確認に役立った。更にラジオカーなどで被災地をいち早く取材した。これは他の在阪局より地の利があったことなどから、地上からのリポートとしては一番早いリポートとなった。
 ほかにパソコン通信、社員のアマチュア無線なども駆使して情報の収集に励んだ。
 マニュアルも当時なかった中で他局に先駆けこのような迅速的確な行動をとれたのは同社社員の功労であり、十分な体制整わない中の奮闘、幸運による出来事であっても取りこぼさなかった姿勢は評価に値する。

海の見える放送局
 「海の見える放送局」というステーションソングがある。ただし歌詞の中に「ラジオ関西」や「558kHz」のような宣伝文句は入っていないので、イメージソングとしての性格が強い。
 これは1970年代に採用され、以後30年以上使われていて、現在は放送起点時刻などに聞くことができる。

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