ガリレオ (探査機)
読み:ガリレオ
外語:Galileo

 アメリカの木星探査機。1989(平成元)年10月18日 10:53:40(UTC以下同)(@703)にNASAによりケープカナベラルからスペースシャトル・アトランティスで打ち上げられた。同日22:23:00(@974)、ガリレオはアトランティスから分離された。
 ガリレオは、木星の周回軌道に乗って観測する軌道船と、木星の大気に突入して大気内を観測する観測船から構成されている。周回船は木星の周回軌道に乗り、木星やその衛星の観測、ならびに観測船の無線中継機能を担う。観測船は木星大気下を降下しガス型巨大惑星の内部を初めて観測し、その観測データを軌道船経由で送り返す計画である。
 まずは金星の観測も含めた金星上空16000kmでスイングバイを1990(平成2)年2月10日13:44(@238)に実行、次いで同年12月8日 20:30(@895)に地球上空960kmをスイングバイし、加速した。1991(平成3)年4月11日、ガリレオの展開式の高利得アンテナの展開司令を出したが半開きで止まってしまい失敗した。潤滑剤の減少が原因だった。本来は130kbpsで通信できるはずだったが、低利得の補助アンテナの使用を余儀なくされ、速度は1kbps程度になってしまった。そこで地球側の受信アンテナの感度向上に加えデータ圧縮(画像はJPEGに似た非可逆圧縮、観測データは可逆圧縮)機能の追加等技術的な工夫で、当初の目標の7割程度を実行可能にした。
 1991(平成3)年10月29日22:36(@608)頃、火星と木星の間にある小惑星ガスプラに1600kmまで接近した。1992(平成4)年12月8日21:09(@547)に地球上空303kmで重力加速、ガリレオは38.5km/sに加速し木星探査へと旅立った。
 1993(平成5)年8月28日16:52(@369)頃、小惑星アイダに2400kmまで接近、大きさ僅か1.5kmながら初の小惑星の衛星を発見した。1994(平成6)年7月22日08:06:10(@004)からシューメーカー・レビー第九彗星の木星衝突を連続撮影、世紀の天体ショーに世界中が沸いた
 1995(平成7)年12月7日22:04(@586)、ガリレオから大気圏突入機Probe(プローブ)が分離し108000km/h(259Mm/hBeat)もの速度で木星上層大気に突入、57分後に搭載送信機がオーバーヒートで焼き切れるまで惑星大気に関するデータを軌道船経由で地球に送信した。結果、180[m/s]=648[km/h]もの突風が雲の下160kmまで吹いていることが判明した。
 予定のミッションは1997(平成9)年12月7日に終えたが、数度の延長が議会で可決され運用が続いた。
 2001(平成13)年5月25日11:24(@141)に衛星カリスト上空約138kmを通過、観測と同時にスイングバイし、衛星イオを観測するための軌道に乗った。同年8月6日 04:59(@249)および10月にイオの北極域上空約200kmを通過、火山列Tvashtar Catenaの上空を通過し写真撮影などの観測を実施した。
 2002(平成14)年には撮像任務を終了し、木星周回軌道を周りながら磁場観測や衛星イオの観測を続ける。そして2002年末ガリレオ最後のミッションは衛星アマルテアと木星環の観測であった。
 ガリレオは姿勢制御用の推進燃料が残り僅かとなり、観測不可能になる上に木星の衛星エウロパに墜落する恐れがでてきた。ガリレオの観測によりエウロパには地下海が見つかった。何らかの生命体の存在を想定し、原子力電池による汚染を避けるため、ガリレオは木星に突入させることになった。探査機のテープレコーダーのデータは2003(平成15)年2月28日に全て受信し、同年9月21日に木星大気へ突入するプログラムを探査機へ送信してからガリレオ・チームは解散された。
 1995(平成7)年12月以来約8年間のミッションで木星を34周したガリレオは2003(平成15)年9月21日18:57(@456)、木星大気圏に突入された。その瞬間にも大気の成分データを地球へと送信し、その後は燃え尽きたものと考えられる。
 Galileoは、望遠鏡を発明し、木星の4大衛星を発見したイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイに由来する。

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