糸川英夫
読み:いとかわ-ひでお
外語:ITOKAWA Hideo

 日本のロケットの父。ロケット博士。ペンシルロケットカッパロケットラムダロケットミューロケットと続く国産ロケットの産みの親であり、航空・システム工学の元東大教授である。また旧陸軍の戦闘機 隼の設計者としても知られる。
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個人情報
 誕生日1912(明治45)年7月20日(蟹座)。東京都出身。東京帝國大學 工学部 航空工学科卒業。
 晩年は山間部の町、長野県小県郡丸子町(現・上田市)に移り住んだ。1998(平成10)年2月21日03:15(20日@802)、多発性脳梗塞により丸子町(現・上田市上丸子)の丸子中央総合病院にて逝去。満86歳没。

著書
 著書に "逆転の発想"、"ケースD" などがある。

宇宙開発と博士
 1970(昭和45)年2月11日、東京大学宇宙航空研究所(後のISAS)で、国産初の人工衛星 "おおすみ" を打ち上げた。
 この年は3月に大阪で日本万国博覧会、同3月に日本赤軍によるよど号ハイジャック事件、11月に三島由紀夫割腹自殺などが起きた年で、もはや歴史の時代である。
 そのような時代に、サヨクの執拗な妨害に屈することなく、日本の宇宙技術に多大な貢献をした。
 その功績を称えられ、現在彼の名は小惑星イトカワとして残され、彼の開発した戦闘機「隼」の名も、その小惑星イトカワの探査機「はやぶさ」として今に復活している。

サヨクに攻撃される博士
 宇宙開発、それもロケットとなると、ミサイルにも転用可能な軍事技術開発に繋がるわけである。これを、日本の弱体化と共産革命を狙うサヨクは恐れた。博士はただの科学者でありながら、政治の世界に巻き込まれることになったのである。
 そんな糸川博士を、醜い個人攻撃で表舞台から葬ったのは朝日新聞であった。おそらく、支那共産党からの指令があったと考えられる。

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