目蒲線
読み:めかません
外語:Tokyu Mekama Line

 2000(平成12)年8月5日まで存在した東京急行電鉄の路線の一。
 1923(大正12)年11月に "目黒蒲田電鉄" として目黒〜蒲田が全通したが、それから約70年後の2000(平成12)年8月6日、路線再編のために "目蒲線" の名称は消滅し、目黒線(目黒〜武蔵小杉)と東急多摩川線(蒲田〜多摩川園)に分割された。
 この路線は、途中で田園調布と多摩川園という都会的な駅を経由するものの超ローカル線扱いだったらしく、昭和の時代には空調の無い旧型の三両編成で、夏はサウナ、冬は冷蔵庫といえる車内温度を特徴としていた。車内にごきぶりホイホイが常備されていた列車は、世界広しといえどもこの目蒲線と、隣の池上線くらいのものであろう。その後は7200系や7700系に置き換えられ、さらに目黒線と多摩川線へ分割されることとなる。
 おおくぼ良太の目蒲線物語によれば、継父は東急東横線、継母は東急田園都市線、兄は東急池上線で、弟は東急新玉川線。実父は東武東上線で実母は赤羽線

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