支那事変
読み:しなじへん

 1937(昭和12)年〜1945(昭和20)年8月14日(ポツダム宣言受諾)まで、日本と支那との抗争のこと。
目次

概要
 ほぼ戦争の状態であったが、支那および日本は互いに宣戦布告をしていなかったため、これは「戦争」ではなく「事変」と呼ばれた。
 日本ではこの事変と、後の対米戦(いわゆる太平洋戦争)を合わせて大東亜戦争と呼んでいる。

沿革
 周辺の事件も含めた、年代の一連の流れは次の通り。

特徴

状況
 宣戦布告がなく始まったため、何月何日から、という明確な開始日は設定できない。
 情勢は、1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件から悪化を始め、1937(昭和12)年8月13日に第二次上海事変が起こった。
 実質的には盧溝橋事件に端を発するが、現在では第二次上海事変以降をいわゆる支那事変としている。

第一撃

盧溝橋事件
 日本軍と国民党軍が共産党軍に夜陰に乗じて銃撃されたことで、日本軍と国民党軍が互いに敵を誤り交戦状態となった事件である。
 両軍とも、何かがおかしいと感じたことから5日後には停戦するが、この事件が、その後の大東亜戦争の発端となった。

第二次上海事変
 1937(昭和12)年7月29日の通州事件を経て、1937(昭和12)年8月13日、支那軍が上海の日本人市民を攻撃したことで日本軍と行なわれた争いが、第二次上海事変である。
 この抗争は遂に終わることなく戦火が広がった。このため、これ以降を支那事変という。

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