原子爆弾
読み:げんしばくだん
外語:atomic bomb
ウラン
や
プルトニウム
の
核分裂
を利用する、
核爆弾
の一つ。通称は「原爆」と呼ばれる。
目次
開発
枢軸国勢力
ドイツ
日本
連合国勢力
二度の使用と冷戦
開発
基本理論が整理されていた時期と重なったこともあり、
第二次世界大戦
頃に各国で研究が進められた。
枢軸国勢力
ドイツ
ドイツでは、リーダーを務めていたウィルナー・ハイゼンベルクが、原爆を作るための基本的な仕組みをよく把握していなかった。
更に、
減速材
となる
重水
を唯一生成できたノルウェーの重水工場を破壊されたことなどにより、敗戦までに開発できなかった。
日本
日本では仁科芳雄らの手によって研究が進められていた。
しかし基本的な設備に乏しい日本だけの独力では研究の続行は不可能であり、また
昭和天皇
の大反対もあって断念された。
連合国勢力
一方の連合軍側では、アメリカで原爆開発計画、いわゆる「
マンハッタン計画
」が立ち上げられた。これは対日戦争の直前である1941(昭和16)年12月6日からと、やや出遅れたスタートとなった。
しかし、自国出身であり同計画の中心的人物となる
オッペンハイマー
の他、
アインシュタイン
、エンリコ・フェルミら圧政から逃れてきた科学者の協力や、イギリスが自国独自での研究をせず一切の研究をアメリカに預けたため研究を一本化できたことにより、多くの英知の結集に成功した。
かくして計画開始から1年と経っていない1942(昭和17)年には史上初の原子核連鎖反応の実験に成功し、1945(昭和20)年7月16日、世界最初となる核実験に成功した。この報はただちにポツダム会談に出席中のトルーマン大統領に伝えられた。
二度の使用と冷戦
1945(昭和20)年8月6日、広島にウラン型原子爆弾「
リトルボーイ
」が、1945(昭和20)年8月9日には長崎にプルトニウム型原子爆弾「
ファットマン
」が投下されている。
第二次世界大戦後、米ソの対立が深まると、ソ連は原爆の開発を急ぎ、1949(昭和24)年8月26日に核実験に成功。時代は冷戦へと突入していくのであった。
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