アンセット・オーストラリア航空
読み:アンセット-オーストラリアこうくう
外語:Ansett Australia
オーストラリアの航空会社。本社 メルボルン。1936(昭和11)年設立。2レターコード AN、3レターコード AAA。
世界3都市(大阪、香港、デンパサール)、国内60都市に就航。日本路線は大阪からブリスベーン経由でのシドニー便が1日1便の週7便が運航されていた。保有機材 96機。従業員 約1万5000人。マイレージサービス(FFP) アンセット・グローバル・リウォーズ。
その歴史はレジナルド・アンセットがハミルトン―メルボルン間を6人乗りの小さなプロペラ機を操縦して、営業を開始したことに始まる。たった一人でスタートしたが、事業は順調に発展し、1970年代の終わりには国内の旅客運送で4割のシェアを獲得するにまでになった。さらに1992(平成4)年にカンタス・オーストラリア航空が独占していた国際線が解禁されたことを受けて、1993年に初の国際線となるデンパサール線を開設した。日本にも1994(平成6)年の関西空港の開港を機に乗り入れを開始。同時期に香港線も開設している。
ところで、同社は1979(昭和54)年にルパード・マードック氏のニューズコーポレーションとTNT社が親会社となったが、マスコミによればこれらの企業関係者は同社を一種の財源と見なし、利益を上げるのに必要な投資を維持しなかった。つづいて同社は2000(平成12)年にニュージーランド航空に売却されたが、ニュージーランド航空には同社を維持するだけの資本がなく、2001(平成13)年度上半期(2000(平成12)年7〜12月)決算が大幅減益となってしまい、シンガポール航空などへの売却交渉も行なっていた。そのような状況では健全な経営など出来ないであろう。その影響からか、亀裂や不具合の発覚など、度々整備不良が指摘されるようになってきていた。その一方で、それまでカンタス航空とのほぼ2社による独占状態であった国内航空市場にヴァージン・ブルー・エアラインズやインパルス航空といった格安航空会社が参入したきたため収益も悪化していた。2001(平成13)年9月はじめ、1日あたり130万ドルの赤字を出しているという発表があったのに続いて経営が破綻した。
親会社のニュージーランド航空や、政府による救済がないことが続いて発表され、ライバルのカンタス航空による買収も合意にいたらず、9月12日、管財人の管理下に入った。運航を続けるためのあらゆる可能性が模索され、関係団体や労働組合との交渉が重ねられたが、おりからの911事件もあり、あまりにも多額の資金不足のため、9月14日早朝、管財人がアンセット航空とその関連子会社の全便の運航停止を発表した。その後、2002(平成14)年1月29日になって、投資家グループ・テスナへの買収が一旦決まったものの、2月27日国内主要空港との施設リース契約が遅れ、アンセット航空再建にかかる資金が当初予想を大きく上回る見通しとなったとして、投資家グループは買収を断念。他に有力な買収先も現われなかったことから、再建を断念。そのまま清算手続きに入こととなり、66年にわたる歴史に幕を閉じた。
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