釈迦
読み:しゃか
外語:zaakya-muni

 仏教の開祖。釈迦牟尼(しゃかむに)。釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、略して釈尊(しゃくそん)ともいう。
 本名はGotama Siddhartha(ゴータマ・シッダールタ)、漢字では瞿曇悉達多(クドンシッタルタ)と音写される。
目次

生い立ち
 生没年は現在でも不明のままだが実在の人物であり、紀元前、インドの北部、現在のネパールにいた釈迦族の王子として産まれた。俗説では産まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言ったとされている。
 釈迦の父の名は浄飯王(じょうぼんのう)、母の名は摩耶(まや)であり、その長男であった。つまり釈迦は王国の皇太子だった。しかし摩耶は釈迦の生後七日目にして亡くなったため、摩耶の妹の摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)が浄飯王の後妻となり釈迦を育てたとされている。
 釈迦は後に耶輸陀羅(やしゅたら)と結婚し、一人息子の羅〓羅(らごら)をもうけた。

成仏まで

出家
 釈迦は王宮で何不自由無い生活を送っていたが、城外で老人や病人、死の悲惨さを見て、そこから逃れられない人の宿命に悩み苦しんだ。そして遂に29歳にして妻子を捨て皇太子の身分も捨て出家してしまった。
 釈迦はその後、衣食住を絶つという当時としては普通の苦行に入ったが、何年経っても苦しみから解放されることはなかった。

娘との出会い
 苦行の末、釈迦は骨と皮だけの姿になりこの修行に疑問を感じ始めた頃、川原を歩いていると村娘スジャーター(Sujatha)の歌声が聞こえてきた。娘曰く、琴の弦は締めすぎると切れてしまう、絞め方が弱いと音も悪い、琴の弦は中くらいに締めるのが丁度良い。この時釈迦は遂に「苦楽中道」の悟りを得、今までの修行は誤りであったことに気付いたとされる。
 そして今にも死にそうな釈迦に気付いたこの村娘は釈迦に乳粥を差し出した。それまでの修行では生ものは口にしないところだったが、釈迦はそれを飲み生命の悦びを改めて感じたとされる。

大悟
 釈迦は、生命を絶つような苦行では産まれてきた意味がない。この世に生きることこそに悟りを開く材料があるはずだと考え、中道の悟りを得りし後には断食などの苦行を捨て、真の修行は「執着を断つ」こととして新たな修行を始めた。
 そして旅の後、釈迦は大いなる悟り(大悟)を開いたとされる。
 その後は己の悟りの正しさを確認するため布教を開始、これが仏教となった。

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