明智城
読み:あけち-じょう
外語:Akechi castle
美濃国明智にあった城。長山城とも言う。
明智氏の居城で、『美濃国諸旧記』によれば、1342(興国3)年に明智次郎長山下野守頼兼によって開城されたとされている。
1552(天文21)年、明智光綱が城主であったときに、斎藤道三に攻められ、光綱は討死。
1556(弘治2)年、斉藤義龍が父・斎藤道三に反旗を翻すと明智氏は道三側についたため、明智城は義龍の攻撃を受けることになる。義龍軍は3,700余騎をもって攻めてきたが、明智勢は僅か380騎に過ぎず、勇戦虚しく落城。『明智軍記』によると、城主・明智光安が共に討ち果てようとしていた兄・光綱の子の明智光秀に自分の子の光春、弟・光久の子の光忠らと明智家再興を託して場外に逃れさしている。
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