明智光安
読み:あけち-みつやす
外語:AKETI Mitsuyasu
?〜1556(弘治2)年。兵庫頭。明智光秀の叔父。
光秀の父である長兄光綱の討死後、子の光秀がまだ幼少であったため、後を継ぎ、美濃
明智城
主となる。斉藤義龍が父・斎藤道三に反旗を翻したときには道三側につき、敗れて籠城の後、自刃した。
『明智軍記』によると、城中にいた光秀、光安の子の光春、弟・光久の子の光忠らに明智家再興を託して場外に逃れさしている。
再検索