川端康成
読み:かわばた-やすなり
外語:KAWABATA Yasunari

 日本人初のノーベル文学賞作家。1899(明治32)年、大阪市に生まれる。主な作品に『伊豆の踊子』『雪国』がある。
 15歳で肉親を全て失い、伯父に引き取られる。1917(大正6)年に一高に入学。翌年秋、伊豆に旅行する。そのときに旅芸人の一行と道連れになり、その旅情と体験を美化して創作されたのが、『伊豆の踊子』である。
 1920(大正9)年、東大英文学科に入学。翌年、国文学科に転科。その年、第六次「新思潮」を発刊する。その第二号に載せた『招魂祭一景』が菊池寛に認められ文壇作家となる。
 菊池寛の創設した「文藝春秋」の第二号から編集同人に加えられ、菊池の紹介で横光利一との親交が始まる。
 1924(大正13)年3月、東大を卒業。横光利一ら新進作家を結集して同人誌「文芸時代」を創刊し、新感覚派の担い手として活動する。そこに連載されたものが『伊豆の踊子』である。
 彼は叙情的詩の才能も発揮する。それが如実に現われているのは短編小説の『掌(たなごころ)の小説』である。
 戦後、日本全体がアメリカ礼賛の風潮の中にあったが、彼は「戦後の世相なるものを信じない」と断言し、日本の伝統的な美しさを信じた。
 日本の美しさを描き出す『千羽鶴』『山の音』などを次々と発表する一方で、志賀直哉の後を受け日本ペンクラブの会長を務める。
 1968(昭和43)年、日本人として初のノーベル文学賞を受賞。その受賞理由は「すぐれた感覚で日本精神の本質を表現した、彼の偉大な物語に贈る」ということである。
 1972(昭和47)年4月16日、ガス自殺にて自らの命を絶つ。

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