朝鮮戦争
読み:ちょうせんせんそう

 1950(昭和25)年6月25日〜1953(昭和28)年7月27日に、朝鮮半島で起こった戦争南朝鮮(韓国)ではこれを韓国戦争と呼んでいる。
目次

概要
 独立してすぐの南朝鮮(以下、南鮮)と北朝鮮(以下、北鮮)の間で起こった戦争で、戦争半島全域に渡り激戦を繰り広げた。
 大東亜戦争の時代は戦火を免れた半島だったが、この戦争で国土は荒廃、更に朝鮮民族の20%を死滅させた。

経緯

火種
 この戦争の火種であるが、実は大韓帝国の時代まで遡る。
 財政難だった大韓帝国政府は列強諸国に巨額の借金を申し込むと共に、鉄道敷設権、鉱山採掘権、森林伐採権をロシア米国英国フランスドイツに次々と切り売りしていった。
 しかし、国家財政は改善されず、遂に破産寸前に陥ったのである。
 そこでロシア帝国は、大日本帝国に対し朝鮮半島を北緯38度線を境に南北に分割し、それぞれをロシア・アメリカの勢力下に置くことを提案した。この時は日本が拒否したことにより実現されなかった。
 大東亜戦争後、ソビエト連邦が朝鮮に進軍、その意図に気が付いたアメリカ軍も辛うじて南半分を自分の勢力下に置くことに成功した。こうして北緯38度線を境に朝鮮半島は分割して占領されたのである。

開戦
 さて、この戦争は金日成(北鮮)、スターリン(ソ連)、毛沢東(支共)の共同謀議で始まった。
 1946(昭和21)年6月、アメリカが駐韓米軍を撤収し、そして南鮮と台湾を極東防御線(アチソンライン)から除外した。
 そこで1950(昭和25)年6月25日未明4時、北鮮は南鮮を共産化させるため、北緯38度線全域に渡り奇襲侵略を強行した。
 3日後にはソウルが陥落、そして釜山(ふさん)を除いた南鮮の全域が、僅か1ヶ月の間に共産軍に占められてしまった。

アメリカの加勢
 そこで国際連合(UN)は朝鮮戦争への参戦を決議、米軍の指揮下で参戦し、戦況を引っ繰り返した。
 1953(昭和28)年6月8日、北鮮軍と支那人民志願軍、国連軍の三者が朝鮮半島38度線南の板門店(はんもんてん)で開いた休戦本会談に参加、南北の軍事境界線と非武装地帯の設置、軍事休戦委員会の構成などを規定した休戦協定の調印式が行なわれた。
 このとき、休戦に反対の南鮮は調印しなかったが、これでひとまず朝鮮戦争は休戦となったのである。

現状
 この休戦協定では海上の境界線は定められていなかったため、この点で再び南北が揉めることになる。
 南鮮は1953(昭和28)年8月に国連軍が黄海と日本海の北朝鮮南部沿岸に線引きした北方限界線(NLL)を南北の境界とした。対する北鮮はこれを認めず、1968(昭和43)年に独自に12海里(22km)の領海を宣言した。
 これによって、現在でも領有権を争う交戦が度々起きている。
 つまり、朝鮮戦争はあくまで「休戦」状態なのであって、今なお「終戦」はしていないということなのである。この争いは、南北統一まで続くことであろう。

再検索