支那 |
辞書:国土用語の基礎知識 世界地理編 (EGW) |
読み:しな |
外語:China |
品詞:国 |
支那大陸にある国の通称であり、歴史的に存在した国々の総称でもある。
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概要 |
現在は、日本でも支那を「中国」と呼ぶことが多い。
しかしもともと日本語で中国とは、畿内(京の都)から見て「近国と遠国の中間にある国」という文字通りの意味を持ち、現在の広島県周辺を表わした。従って現在、広島県周辺は「中国地方」というのである。
一方、支那における「中国(中華)」という概念は「世界の中心の国」という意味であり、その四方には、「東夷」「南蛮」」「西戎」「北狄」という蛮族が住んでいる、という世界観である。従って、支那を「中国」と呼ぶことは、結果として日本人は自らを「我々は東夷である」と認めていることに等しい。
特徴 |
普及 |
支那という語は、今も広く使われている。
例えば、地理呼称でも、東支那海(東シナ海=西沖縄海)、南支那海(南シナ海=西フィリピン海)などのように使われる。
中華料理でも「支那竹」(現在はメンマと呼ばれる)、「支那そば」(浅草由来の鶏がら醤油ラーメン)などの呼称が今に残る。
また歴史の世界でも、大東亜戦争で対支那戦は「支那事変」という。
起源 |
支那の語源は、古代支那大陸に勃興した王朝、秦朝(しんちょう、以下 秦)に基づく。
秦が強大な国家だったことから、中央アジアなどでここに住む人を「秦人」と呼んだ事が始まりとされる。
これがインドに伝わり、「シナ」ないし「チーナ」と変化し、インドで生まれた仏教が支那へ伝来した時にこの言葉も支那へ逆輸入され、発音を漢字表記して支那、脂那、震旦、などの漢字が当てられたことが、支那という名称の始まりである。
長い年月の間に他の表記はなぜかされなくなったようで、ほぼシナの漢字表記は「支那」に統一されたようである。支那古典では、宋の時代の歴史を述べた『宋史』(そうし)に用例が見られる。つまり、支那というのは支那語である。
差別語なのか |
戦争中の一時期、支那が差別的に使われていた事があったという理由で、現在では過剰なほどの言論統制によって使用が妨げられているが、英語のChinaやSino-(Sinology、Sino-Japanese等)、フランス語のSino-のように国際用語でもある。
古くはインドの仏典にも登場するとされており、歴史的に定着した用語である。
戦争時の支那についても、当時の公式な呼称が支那以外になかったので、それを例にとって差別用語とするのには無理があるだろう。
当時、世界中の人がSinaやChinaと呼ぶ中、日本だけがシナと呼んではいけないという理由は、存在しなかったのである。
支那人 |
日本でも、夏目漱石や芥川龍之介といった文豪が支那の呼称を用いていた。
しかし支那人でも、孫文や黄興、梁啓超などが支那という呼称を用いていた。だが、現在の支那人の大半は、その事実を知らない。にもかかわらず、「支那」の字を見ると怒る。
これは、詰め込み教育の弊害とも考えられている。
歴史 |
現状 |
これを著している現在、この土地に政府を置く国の国号は中華人民共和国である。
なお、支那・中国と一言で言っても、歴史に縦の繋がりはない。
支那は、有史以来、今に至るまで易姓革命(王朝交代)の国であり、都度、歴史が継続しない国なのである。新国家樹立後は、前の物を全て破壊するのが習わしである民族ゆえ、地理的に同じというだけで、国が違えば歴史も違う。「中国4000年の歴史」などというのは、現実にはハッタリである。
時代 |
支那における時代は、大きく三つに分けられる。
国の一覧 |
現在確認されている範囲では、次のような歴史的経緯がある。
商朝(殷朝)の前の夏朝は、現時点では伝説の王朝である。
夏朝より前は、黄河文明などの古代文明となり、更に前には三皇・五帝時代などの、完全に伝説の世界となる。
但し夏朝については実在の可能性があるとして研究が進められているらしい。
中華人民共和国 |
現在の中華人民共和国は、日本が大陸に進出したことで生まれたものである。
ゆえに、故・毛沢東 支那共産党主席は、「日本は支那の産みの母」とまで語ったと伝えられている。
リンク |
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