秋葉原ラジオストアー
読み:あきはばらラジオストアー
外語:akihabara radio store
かつての
JR秋葉原駅の総武線高架下の電子パーツ街
の一つで、電子パーツなどの専門店があつまった建築物のこと。
目次
概要
情報
会社概要
沿革
特徴
由来
部
番号
概要
秋葉原駅最寄りの、総武線の高架下建物群の一つ。三つあった西側高架下建物のうち一番南側で、駅前広場(ダイビル前の広場)から奥に向かって一番奥の列が、秋葉原ラジオストアーであった。
昔のバスロータリー側からも近い。
建物は二階建てのようだが、店舗は一階のみに存在した。
電子工作をする人のみならず、プロもパーツを求めて集まる本格的な専門店街であったが、2013(平成25)年11月30日をもって惜しまれつつ閉館した。
情報
会社概要
以下は、閉館の日、2013(平成25)年10月30日時点での情報である。
名称 株式会社秋葉原ラジオストアー
住所 東京都千代田区外神田一丁目14番地2号
電話 03-3521-9612
建物 秋葉原ラジオストアービル (鉄筋コンクリートブロック造り陸屋根2階建て)
2F 60.26平米
1F 82.18平米
役員
代表取締役 竹村 元秀
取締役 知念 利秀
取締役 齋藤 保男
監査役 黒川 晃
店舗数 9店舗
資本金 10,000,000円
株主構成 各店舗法人9社及び各創業オーナー家 100%
取引金融機関
興産信用金庫 秋葉原支店
みずほ銀行 神田支店
りそな銀行 神田支店
三井住友銀行 神田支店
三菱東京UFJ銀行 秋葉原支店
テナント各社
No.1
有限会社さいとう
(工具専門店、→移転)
No.2 有限会社トヨデン
No.3
マルモパーツ有限会社
(電子部品専門店、→移転)
No.4
株式会社パーツランド
(※大阪の同名会社とは無関係、→秋葉原ラジオストアーに移転)
No.5
有限会社シーアール
(→本社ロジックデバイス(株)に移転)
No.7
有限会社福永電業
(→移転)
No.8 有限会社ストア・ミズタニ
No.9
コイズミ無線有限会社
(→移転)
No.10
有限会社タカヒロ電子
沿革
1949(昭和24)年: 露店撤廃令により、現地に移転
1950(昭和25)年3月: 株式会社として設立登記(資本金20万円)、初代代表取締役は森田雅雄
1955(昭和30)年2月: 類焼により店舗全焼
1955(昭和30)年6月: 新ビル落成、営業再開
1975(昭和50)年10月: 新ビル落成。各店舗が独立した法人となり、秋葉原ラジオストアーは賃貸業となる
1997(平成9)年10月: 空調、店頭ディスプレイ、ビル看板の大改修を実施。ロゴの変更
2013(平成25)年10月30日: 閉館
特徴
由来
戦後の1949(昭和24)年、戦後復興もままならない頃の秋葉原に元露天商が集まって作られ、翌年に株式会社として設立登記された。
創業者は、安部与吉、水谷保、知念福永、齋藤芳男、黒川豊康、田中キヨ子、成田吉成、小泉角一、高槻登、足立誠一、の10名だった。
当時は客足もまばらだったが、1950(昭和25)年6月からの3度に渡る朝鮮特需により電子材の需要が高まった。この時、
秋葉原ラジオセンター
と
秋葉原電波会館
が隣接して作られ、中央通りを挟んだ場所に
東京ラジオデパート
が作られるなどし、秋葉原は活況となった。
秋葉原ラジオストアーは、秋葉原電気街を作った礎である。
部
電子部品の需要拡大に伴い、店舗販売だけでは需要に対応できなくなったことから、各店舗は商社、あるいはメーカーとして別会社を作り、今に至っている。
各店舗には「No.※ ○○部」という名前が付いていたのが特徴的である。以下、既知のもの。
No.1 工具部 → さいとう
No.2 トランス部 → トヨデン
No.3 ツマミ部 → マルモパーツ
No.5 抵抗蓄電器部 → シーアール
No.6 通信機部品部 → (撤退、後の株式会社三誠)
No.7 配線材料部 → 福永電業
No.10 トランジスター真空管部 → タカヒロ電子
番号
一番秋葉原駅寄りがNo.1で、中央通り側に行くほど番号が増える。
なお、一番中央通り沿いにあり、ラジオストアーの看板下にある九州電気は、実はラジオストアーの店舗ではないらしい。このためラジオストアー閉館後も、九州電気は営業を継続する。
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