菅原道真
読み:すがわら-の-みちざね
外語:SUGAWARA no michizane
平安時代の貴族、学者、政治家。現在は学問の神として祀られる、人神のうちの一柱である。
概要
第59代宇多天皇、第60代醍醐天皇の時代に活躍した。
醍醐天皇の時代には右大臣にまでなるが、左大臣の藤原時平と対立した。藤原時平の謀略により、讒訴にて大宰府へ左遷の憂き目にあい、平安京を離れることになった。
そして菅原道真は失意のうちに薨去、太宰府に葬られた。これが今の太宰府天満宮である。
特徴
没後
菅原道真の没後、平安京には異変が相次いだ。
まず、政敵だった藤原時平が39歳という若さで病死したことに始まり、東宮、皇太孫などが次々と薨去/卒去した。
そして930(延長8)年には旱魃にも見舞われた。そこで延長8年6月26日(930年7月29日)に醍醐天皇と共に雨乞いについての会議をするべく太政官が清涼殿に集まった所、清涼殿を雷が直撃、多くの死傷者を出した。醍醐天皇は雷撃は避けられたものの、その事件で体調を崩し、三ヶ月後に崩御あらせられた。
内裏すなわち天皇の居所への落雷という衝撃に加え、ここで死亡した大納言 藤原清貫は大宰府に飛ばした菅原道真の監視を藤原時平に命じていたということから、菅原道真の怨霊に殺されたとする噂が広まった。雷を操る怨霊、すなわち菅原道真は雷神になったとする伝説が、この時に生まれた。
天神様
道真の祟りに恐れをなした朝廷は、道真の罪を赦免し贈位をするなどしている。さらに、京都・北野に北野天満宮を建立、何とか祟りを鎮めようとした。以降、大災害は道真の祟りと恐れられ、全国に祟り封じのための天満宮が建立されることになる。
こうして菅原道真は「天神様」と呼ばれるが、天神とはその字の通り天を治める神であり、つまり「雷神」そのものを指すものである。
やがて、道真の祟りが治まると、菅原道真は学者であったことにちなみ、天神は学問の神として信仰されるようになった。
現在では、京都の北野天満宮と福岡の太宰府天満宮が、全国天満宮の総本社とされており、うち太宰府天満宮が菅公の霊廟となっている。
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