支那人
読み:しなじん
外語:Chinese

 支那大陸に多く分布する民族。彼らは自身を漢民族と呼び称する。なお、「支那人」と「支那の民族」は分けて考えるべきだが、ここでは支那の民族を支那人として説明している。
目次

概要
 支那人というのは、まともな民族ではない。
 このため支那人は現在、世界中で嫌われている。

特徴

主な特徴
 詳細は追って書かれるが、大まかな支那人の特徴は、次の通りである。
  1. 自己中心
  2. ご都合主義
  3. 独善
  4. 責任転嫁
  5. 人間不信
  6. 土匪
  7. 嘘ばかりの「友好」を主張
 支那という国の本質は「戦乱国家」「土匪国家」「恫喝国家」「飢饉国家」「易姓革命」「革命国家」であることは歴史を知れば一目瞭然なのである。

自己中心
 支那人は、自分さえ良ければ、良い。ルールなど無用で、個人主義、儲け主義を基本とする。協調性などなく、協調性を要するシステムなど運用できない。
 自分のことしか考えない、自分以外は人間ではない、そんな人間が好かれるわけは無い。同じ民族であっても、そんな性格の輩と付き合おうという者はまれであろう。
 そもそも中華思想なる表現は、世界の中心で華やかという意味であり、自分らから遠い地はド田舎、そんな地に住む者は獣であり人と認められない、という表明でもある。

ご都合主義
 ジコチューは、常にご都合主義で動く。過去発言したことがあった文言でも、都合が悪くなれば「そんなことは言っていない」と主張、過去の証拠を隠滅することも厭わない。
 例えば尖閣諸島は古くから日本の領土として支那の地図にも描かれているが、占領したくなって以降は、その証拠となる古地図を集めては消去する工作を続けている。
 こんな輩とまともな付き合いなど、出来ようはずが無い。

独善
 支那人にとっては、悪いのは全て他人なのである。他の民族とは根本的に異なっている。
 日本人は、例え悪人であったとしても、「死ねば神」「死ねば成仏」とする信仰を持っている。日本に深く根付いている仏教はインドから支那を経て伝えられた宗教であるが、その支那は、自分の敵とあらば、死後ですら墓を暴き、屍に鞭を打つ。彼の文化圏では、安らかに眠るということができない。
 国のために命を投げ出してくださった方々が祀られている靖国神社に首相が参拝してクレームを付けてくるのも、そういった文化圏だからである。当然、世界中、どんな宗教を持っている文化圏からもウザがられている。

責任転嫁
 こうして都合の悪いことは全て他人に責任転嫁し、そして「成果は全て自分のおかげ」とするのが特徴である。これこそが、中華思想の真骨頂と言える。
 近代支那が腐敗し凋落した原因も、共産党にその原因を求めることは無く、かつての政府だった中華民国政府つまり国民党政府に求めている。

人間不信
 支那には、「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」ということわざがある。
 一人で廊に入れば悪い僧侶に金をふんだくられるかも知れないし、二人で井戸を覗けば相方に突き落とされる危険性がある、という意味である。
 信じられるのは自分だけであり、自分さえ良ければ良いという上に述べたような支那人の性質を的確にあらわしている。
 支那人はありとあらゆる模造品を作っているが、その日その場で儲かりさえすれば、その先で人が死のうが爆発しようが関係ない、という支那人の気質がそれを許しているわけである。
 偽ブランド品にしても、作って売ればメーカーは困るが、支那人はそんなことは知ったことでは無い。まがい物でも作って売れれば、いま自分が儲かるから良いのである。
 偽造食品にしても同様である。支那産食品は危険なものばかり。下水から油分を抽出して「食用油」を偽造して売り、それを食べた人が次々と死亡するような事件も、彼の国では日常のことである。作った本人は食べないが、その先で、騙された人が食べて死ぬのは騙された人が悪い。それだけのことと考えているからである。

土匪国家
 土匪とは支那語で、その土地に住み着いて害をなす賊や集団をいう。
 たとえば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国では無いのと同様に、中華人民共和国も国では無い。単なる武装集団が占拠しているだけの土地である。
 こういった輩が日本に入れば犯罪行為ばかり働く。日本で凶悪犯罪を働く第一位は、断トツで支那人なのである。
 台湾も、元々は台湾民族の地であり、家を開けたままにしていても盗みに入る者などいない世界だったが、蒋介石とともに支那人が流入して以降、泥棒だらけの国になってしまった。台湾では、高層ビルの上層階にまで窓に鉄格子が付いているが、流入してきた不逞な支那人の犯罪行為の凄まじさを物語っている。
 結果、台湾では「支那人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。

「友好」
 括弧付きの「友好」である。言うまでも無く、そこに真の友好がないから、このように表現されている。
 友好を嫌う民族は世界中、どこを探してもいないだろう。それが真の友好ならば。
 支那人が「友好」を口走る場合、その解釈権については支那の側にのみ存在し、支那が規定する「友好」の条件に、外野は大人しく従わなければならないのである。一般に、これは「友好」とは言わない。
 この「友好」を文字通り受け取って支那人の言うとおりにするならば、それは単なるカモである。日本は、古くからこの欺瞞に満ちた「友好」のカモにされてきた。

危険性

南麻布の例
 南麻布4丁目の5000m2が支那大使館に売却された。この土地は支那大使館に隣接した土地であり、周囲は高級住宅街として知られている。
 ここで問題化したのは、支那が南麻布を占領したが如くの活動であり、南麻布では「日本人は直ちに消え失せろ、命令だ」という趣旨の脅迫ビラが各戸の郵便受けに投函された。
 この「日本侵略宣言書」とも言える脅迫ビラには、次のように記述されていた(誤字もそのまま再現)。
 警告
 日本人は 直くにたち退きください。
 この麻布は既に日本国政府の誘至により
 中国同胞の所有物となりました
 これは良心からの警告です
 我々の親切に感謝しなさい
 小日本の法律が活用の内に日本人は
 早期に立ち去る事を警告しています
 中国は土地所有を承めません
 これを意訳すると、次のようになるのだろう。
 警告
 日本人は、直ちに立ち退け。
 この麻布は既に、日本国政府が誘致した
 中国同胞の所有物となっており、お前らのものではない。
 我ら支那人が笑顔のうちに命令を聞け
 我々はとても親切なのである。
 日本の法律が有効なうちに日本人は
 早期に立ち去るよう、強く警告している。
 中国は、貴様らの土地所有を認めていない。
 支那様が占領したあとは、日本の法律は無効になるということを明言しておられるようである。

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