太上天皇
読み:だいじょうてんのう
外語:Emperor Emeritus
皇位
を後継者に譲った、元
天皇
のこと。通常は略して「上皇」(じょうこう)という。敬称は
陛下
であり、上皇陛下という。
目次
概要
補足
史上最年少の上皇
崩御間近の譲位
最後の太上天皇
平成院
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
概要
明治に制定された皇室典範、および昭和に改変された皇室典範、ともに天皇の終身在位を前提としているため、基本的には譲位を認めていない。
古くは、
崩御
間近になり皇太子殿下に譲位する例が多く見られた。なお、上皇は「
治天の君
」であり、民間人のような「定年」などとは全く異なるものである。
譲位を認めていない皇室典範には当然ながらその敬称も定めがないが、古くは「院」を用いた。例えば、○○天皇なら○○院、となる。
補足
史上最年少の上皇
史上最年少で天皇に即位したのは第79代六条天皇で、なんと生後わずか7ヶ月と11日(数え年では2歳)である。
もちろん政務は不可能なので
摂政
が置かれたが、在位2年8ヶ月にして後白河院(第77代後白河天皇)の意向により、後白河天皇の第7皇子である憲仁親王(後の高倉天皇)に譲位、同様にして史上最年少の上皇となった。
しかも六条院は元服の年に満たない11歳8ヶ月(数えで13歳)にして崩御あらせられるという波乱の生涯であった。
崩御間近の譲位
譲位せずに崩御すると不吉とされた時期があり、このため差し迫った時期に譲位された例が幾つか見られる。
このような例では、殆どの場合、上皇はその数日後に崩御あらせられている。
最後の太上天皇
これを著している時点で最後の太上天皇は、江戸時代後期である文化14(1817)年5月7日に恵仁親王に譲位し、その翌々日に太上天皇となった「光格天皇」である。
それから202年後に退位した、後述する第125代天皇明仁にあっては、特別法で太上天皇ではなくその略称である「上皇」の地位とされ、上皇が正式名称となっているため、「太上天皇」に限って言えば今も光格天皇が最後の太上天皇である。
平成院
平成時代、時の
第125代天皇明仁
は2016(平成28)年8月8日、映像として「おことば」を
臣民
に発布された(玉音放送)。これは
平成の詔勅
とも呼ばれている。
憲法上、天皇陛下が国政に意見を言うことは許されていないが、それを「おことば」という形式を取るという離れ業で成し遂げた。かいつまんで言うと、高齢で職務を全うできないため、そろそろ皇太子殿下に譲位するべきである、というものである。
上述のように皇室典範は譲位を認めていないが、天皇陛下の言葉を重く受け止めた政府は法整備含め準備にかかり、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定、2019(平成31)年4月1日に新元号の発表、2019(令和元)年5月1日に譲位、という段取りを決定した。こうして天皇陛下は退位され
平成
時代は終わり
令和
時代へと移り、天皇陛下は平成院、上皇陛下となられた。
上述のように太上天皇ではなく上皇という地位ではあるが、天皇が退位して上皇となられるのは光格天皇以来202年ぶりのことである。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
前述の第125代天皇明仁の退位等のために、皇室典範の特例を定めた日本の法律が「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」である。
この法律で、敬称「
陛下
」および「身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による」とされた。このため、上皇陛下の崩御では大喪の礼が執行され、天皇陵が造営されることになる。
また皇后陛下にあっては上皇后となる。その身位は「
皇太后
の例による」と定められ、敬称も皇太后と同じく「陛下」である。
宮内庁見解においては、上皇の英名はEmperor Emeritusである。これは直訳では名誉天皇と訳されるが、イギリスBBCは「grand emperor」とも呼んでいるという。
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