ノーベル平和賞
読み:ノーベルへいわしょう
外語:Nobel Peace Prize

 ノーベル賞の部門の一つ。アルフレッド・ベルナルド・ノーベルの遺言により設立された五部門のうちの一つ。
目次

概要
 ノーベル平和賞は、ノーベルの遺言により「国家間の友愛、常備軍の廃止または削減、平和会議の開催と促進について、最もまたは最善の貢献をした者」に対して与えられる。
 またノーベルは、この賞はノルウェー国会で選ばれた5人の委員会によって授与されるものとした。従って、他の賞はスウェーデンのノーベル委員会が決めるのに対し、平和賞だけはノルウェーの委員会が決める。
 平和賞は団体での受賞も可能で、また複数回の受賞も可能である。更に、ノーベルが賞を与えたかったとは思えないような者がよく受賞している。

特徴

由来
 物理学賞、化学賞、生理学・医学賞までは分かるとして、なぜ平和賞なのか。
 ノーベル賞のうち、ノーベル平和賞とノーベル文学賞は本来、受賞すべきと一般には考えにくい人が受賞することがあるなど選考理由が曖昧であり、存在意義を疑う意見すらあるが、ノーベルがこの賞を作ったことには、理由があるとされる。
 平和賞は、彼が好きだった女性が平和運動活動家だったから、と言われる。結果としてフられてしまったが、後に彼女はノーベル平和賞を受賞したそうである。他に、戦争の道具となるダイナマイトを作ってしまった反省から平和賞を創設した、とする説もある。

問題点

政治性
 ノーベル賞の中では平和賞は別口で、かなり政治的な賞であり、また、金で買える賞だとも言われている。
 他の賞は過去の功績に対して与えられるのが通例だが、平和賞は現在進行形の偉業などに対しても与えられうる。
 例えば、南鮮の当時の大統領だった金大中は任期中にノーベル平和賞を受賞した。これは「金で買った」というのが定説であるが、より正しくは「国を売って買った」というのが実際であった。金で買えるとは言っても、多少の札束程度では買えないらしい。だからあの有名なカルト宗教の教祖様も、様々な賞や称号を得ながらノーベル平和賞だけは手に入れられないのである。
 また戦争イケイケのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したりしている。あまり戦争ばかりするなという趣旨で釘を刺されたのではないかと思われており、こういった政治的な理由でもノーベル賞を受賞することがある。

当事国では政治犯の受賞
 平和活動家、民主活動家などは受賞者となりやすいが、そういった人物は当該国で政治犯として拘束されていることもある。
 オシエツキー(1935(昭和10)年)、サハロフ(1975(昭和50)年)、アウンサンスーチー(1991(平成3)年)、劉暁波(2010(平成22)年)などが該当し、彼らは母国にて政治犯となっていたが受賞した。そして、その受賞の度に、当事国の政権から猛抗議や猛反発を受けている。しかし抗議や圧力には一切屈しない姿勢は当初より一貫している。
 具体的な反応としては、オシエツキーの時はナチスドイツへの批判とし、ドイツは「ドイツ芸術科学国家賞」を創設した。
 サハロフは、妻がソ連国外に、アウンサンスーチーは夫と息子がミャンマー国外に住んでいたため、それぞれが代理出席した。
 劉暁波の時は、中華人民共和国初のノーベル賞受賞者にも関わらず喜ぶことは無く、中共政府は発狂。授賞式に参加しないように全世界に通告したほか、妻らの出国を中共が認めなかったため授賞式には関係者が誰も参加できず、彼が座るはずだった席に置かれた賞状とメダルの映像が世界中に配信された。これにより、平和を愛する地球人から、ますます支那人は嫌われることになったが、当の中共はノーベル平和賞に対抗して「孔子平和賞」を創設した。

受賞者
 団体名は受賞当時のもの。

日本人の受賞者
 日本人の受賞者は一名のみ。

1900年代

1910年代

1920年代

1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

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